現実に生きる人間が悩み苦しむ問題のほとんどは、答えのないことだ。人生とは常に完全な正解のない問題を相手に、「よりよい方」を模索しなければならない旅である。
堺屋太一
人生にはいくつかの分岐点がある。
進学の問題や就職、結婚。「どちらにしようか?どこに進もうか?」このように悩む場面が幾度とある。
大半の問題に対して、人はそれぞれ選択の基準を持っている。しかし、その選択が「正しい」のかどうかは、決して分からない。
人は良い結果を求め選択をするわけだが、良い結果を求めて不幸になることもよくある話だ。ここが人生の不思議なことだ。
最上の選択が最高の結果を生むという保証はなく、失敗が実は成功であったり、成功が失敗の種になることがよくある。
つまり人生は理不尽で、「これをしたから幸せになれる、成功できる」ということは1つもない。問題はあくまで可能性であって、保証ではない。
私達が人生で直面する問題の多くは、答えがなく、どれが正しくて間違っているのか、検証できないことがほとんどだ。
だからこそ、損得勘定や利益目的はなく、「出来る限り最善の結果」を求めて選択をする。
損得でする選択は往々にして最悪の結果を招くことが多いが、最善を希望して考えぬいた結果なら、失敗しても後悔は少ないだろう。
いずれにせよ、結果がどうなるかは神のみぞ知ることだ。絶対的に正しい正解もない。であるなら、人にできるのは、想定できるかぎりの最善を選ぶのみだ。
出典
『歴史からの発想』