成功に向かう道には、いくつもの地雷が埋まっている。成功が現実のものとなるに応じて、それと等価の困難や障害が用意されていたのだ。その地雷は、仕事の範囲内で爆発するわけではない。
ビジネスで勝ち得たことを、ビジネスで失う。そんなシンプルな因果関係で収まるならば、まだ対応できるだろう。自分が痛い思いをすればいいだけの話だ。しかし現実は違う。
まったく想定しないところで、どちらかといえばプライベートな部分で、地雷は爆発する。
神田昌典
人生、山があれば谷がある。何かを得れば何かを失う。トータルで物事を見れば、+と-は拮抗する。
前進を目指し努力すること。過去の自分を乗り越えようと成長すること。こうした努力は素晴らしい試みなのかもしれないが、その過程において「トレードオフ」という言葉の意味を頭の片隅に入れておくことはとても大切である。
なぜなら何か得ることによって「幸せ」を目指しているはずである。だからこそ意識を払うことが重要である。得ることによって失うもの、そして失うことによって得るもののバランスを。
はじめに
人生が「足し算」だけですむなら、これほど単純でわかりやすい話はない。
「出世する」「収入が増える」「パートナーができる」そんな足し算の結果「幸せになりました、人生めでたしめでたしになりました」という現実だけがあるのであれば、人生はほんとうにわかりやすい。
ところが現実には出世や収入アップによって金銭欲や名誉欲が減ることはなく、場合によってそれらの欲は更に増える。パートナーができればその関係を維持するために様々な配慮が必要である。このように得るという行為それ自体には必ずその代償が伴う。
その一方、「失う」というネガティブな結果それ自体も、実は失ったものと同等の何かを得るという補償が伴う。人生には、物事のバランスを取ろうとする自然な働きがあるらしい。
「このマイナスをプラスにできないか」
作家の遠藤周作さんだったと記憶しているが、「何か不運な状況に陥ったときは、この状況から得られているプラスは何か、今の不運を何かに役立てることはできないかと自問しなさい」という趣旨のことを著作のなかでおっしゃっている。
これは「何かを得れば何かを失い、何かを失えば何かを得る」という物事の本質をついた至言である。
たとえその現実がいかに悲観的なものだったとしても、そのなかに自分にとってプラスとなる種が隠されている。その種に気づき、育てていく。この心の姿勢こそがピンチをチャンスに変える力になる。
そして、ピンチを通じて自分、そして自分の可能性に気づくことができる。この意味で自分らしい本当の人生とは、逆境のなかでこそ育まれるものと言える。
何かを失いつつあるのなら
何かを失うことによって私たちは、今の自分が持っているものを改めて見出す。
逆風にさらされ「今までの自分」では対処できない問題にさらされる。それによって「変化すること」を求められる。こうして逆風は新たなる人生の転調となり、人生のステージが変わって行く。
「今までの人生」を失うかわりに私たちは、新しい人生と出会う。すなわち何かを失ったとき、それは「新しい何かを得るための余白が生まれた」ということを意味する。だからこそ出光佐三が言ったように、「順境で悲観し逆境で楽観する」ことが大切なのである。
結局、「得る」と「失う」は光と影のような一対である。自分の置かれている状況にあわせて、マイナスのなかのプラス、そしてプラスのなかのマイナスに気づくことが重要である。
最後に
最高の人生は最悪の人生からスタートする。最悪を知るからこそ最高が分かるからである。
人生はトレードオフ。ゆえに大切なのは「失っているものがあるから」こそ得られる何かがあることに気づくことである。
何かを失いつつあったとしても、それはやがて良いことへ変わる。その一方で何かを得すぎたなら、やがてそれに応じた相応の何かを失う。幸福とはそのバランスの上に成り立つ。
人生とは決して足し算ではない。何かを得ているときであれ、何かを失っているときであれ、そこには必ず、代償と補償が隠されているのである。
出典
『成功者の告白』