端的に言って、人生において「してはいけないこと」で自分の人生を縛るのはナンセンスである。
だが、「しないほうがいいこと」は確かに存在する。正確に言えば、「そのタイミングで◯◯をしてはいけない」という経験則は、確かに存在する。
そこで本記事では、その代表的な経験則、すなわち人生に追い風が来ていないとき、つまり「今はまだ自分の番ではない」ときにしてはいけないことについて述べていく。
人生はタイミングである。「今、私の順番が巡ってきた」というタイミングで勝負をかけ、「今はまだ、動くときではない」というときには控えめに状況を静観する。そのバランスこそが、人生の波に対処する秘訣なのである。
はじめに
年を重ねれば重ねるほど、さまざまな経験を積めば積むほど、人生は主体性や努力、そして自らの意思の力だけではなく、それ以外の決定打によって運命を大きく変えられる場面がしばしば訪れる。
それは良くも悪くも、である。ゆえに、自分自身の人生のタイミングを理屈だけでなく、肌感覚で理解することは非常に重要である。
ほんのわずかにタイミングを見逃しただけで、人生その後の展開は劇的に変わる。あのとき、あの場所で、あの人に声をかけるか否か。そんな些細なことですら、そのタイミングを逃すことによって、結果のビフォー・アフターは劇的に異なりうる。
だからこそ、「今、自分は動くときなのか? それとも、勝負を仕掛けるのは控え、静かに時を待つべきなのか?」という判断を下すために、自分なりの材料を持っておくことが必要である。
たとえば運が来ているか来ていないか
動くタイミングを理解するには、「運」を例に考えるとわかりやすい。
「運が良いとき」とは、自分にチャンスが訪れやすい時期であり、「運が悪いとき」とは、チャンスが訪れにくい時期と捉え、行動を起こすか否かの指針とするのである。
運という存在に、明確な科学的根拠があるとは言い難い。だが、その見えない何かが人生という結果に大きな影響を与えているという実感は、結果論として多くの人が持っているのではないか。
実際、同じことをするにしても、運の良い時期にするのと、運の悪い時期にするのとでは、結果は信じられないほど異なる。
この意味で、「運」とは「タイミング」と言い換えることができる。それは、自分が輝けるときと、そうでないときを見極めるためのヒントなのである。
もし、「今、私に運は巡ってきていない」と直感で感じる現実がそこにあるならば、それは、こう告げているのだ。「今はまだ、自分が輝く番ではない」と。
自然に従い時を待つ
「今はまだ、動くときではありません」
その意味を誤解してはならない。それが示す内容は、きわめてシンプルである。
「今はまだ動くときではない。だからこそ、今のうちにしっかりと準備をしておきなさい。今は控えめに、自分ができることを静かに、しかし着実に積み重ねなさい。そして、順番が巡ってきたときには、それらを出し惜しみせず、すべて出し切りなさい」
準備が整っていない状態でチャンスが訪れることは、決して幸運ではない。ゆえに、人生において「止まれ」とサインが出ているときこそ、その「止まれ」にふさわしい行動を選ぶことが重要である。
運が巡っていないにもかかわらず爆走すれば、その先に待っているのは、車両大破のような悲劇である。
人生には、待つべきときには待つ。我慢すべきときには我慢する。眠るべきときには、素直に眠る。それが自然の摂理である。自然に反する行動は悪運を招くのである。
最後に
「自分の番が来ていない不運のときに、状況を巻き返そうと大勝負をかけた結果、致命的な大ダメージを背負う」ということは、しばしば起こる。だが、それはある意味で当然の結末である。
今、自分のもとに流れは来ていない。それならば、その現実を素直に受け入れるべきである。ここで必要なのは、状況を今すぐ一発逆転させる秘策ではない。時を待ち、状況を静観する忍耐力である。
冬が来れば、やがて春が来るように。人生の「時」もまた、巡ってくる。外の空気が徐々に暖かくなり、外出することが自然に感じられるようになったときこそ、思う存分外へ飛び出せばよい。
雪が降り注ぐ寒空の下で、無理にピクニックへ出かけるのは、どう考えても馬鹿げている。時を待てば、季節は確実に移り変わる。人生もまた、それと同じなのである。
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