時によって消極的になるのは吉。積極的に動かない方がいい時期もあるから

息を吐く女性

人生には本当に不思議な話だが、悪いことは連続してやってくる。

仕事で深刻な問題が発生したかと思えば、次は人間関係の問題が。そこで済めばいいものを、次は自分自身の病気が発覚し、強制的に「ストップ」状態を余儀なくされる。

実際問題、いくらポジティブになろうとも、人生で悪いことが起こるときは起こる。望まない現実が引き寄せられる。その理由や意味は別の記事にて書いたのでここでは割愛する。

この記事のテーマは、悪いことが連続して起こったときの、心構えである。

私たちの人生において、厳しい冬はそのサイクルとして訪れる。それ自体を回避することは不可能である。むしろ長い目で見れば回避せずに腹を決め、それとしっかり向き合った方がいい。

ただし「冬来たりなば春遠からじ」。冬が来れば春が来る。人生の一時期だけ、必要なの心構えを持って、厳しい冬を乗り越えよう。

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はじめに

まず第一の前提として受け入れる必要があることは、「人生で悪いこと(のように見える、判断できる)が起こることは避けられない」ということである。

「私は最初から最後まで、良いことしか起こらない人生を生きたいです」と願ったところで、それは願望に終わる。現実として人生は、晴れの日があれば雨の日もある。良いときがあり悪いときがある。それが人生という舞台である。

大切なのは、良いときには良いときの心構えを。悪いときには悪いときの心構えを持ち、その都度その都度、流れに応じて身を処すことである。

すなわち、自分が置かれている状況を肌で感じ取り、良いときには積極的に動く。そして悪いときには静かに、控えめに過ごす。このメリハリが肝心である。

まず現実を受け入れる。そこから何かが

前置きが長くなってしまったが、特に重要なのは、「悪いこと」が続くようなときの過ごし方である。

長い目で見れば、それが明らかに「悪い出来事」であり、可能であれば避けるに越したことがないようなことでさえ、それが起こることには起こるだけの意味がある。

だが、それが今起こっているとき、その心の余裕を持つことはとても難しいことである。なぜ自分の身にそのような問題が起こったのか?ネガティブな気持ちを持つことは人として自然なことである。

ここで必要なのは、「今すぐ気持ちを前向きに切り替えましょう!」という話ではない。ただ一つ、このことだけを意識して、良い流れが訪れることを、身を低く控えめにして、待つことである。

「もはや起きたことは仕方ない。今すぐ現実が変わること、現実を変えられることを期待せず、腹をくくり自分でそれ以上傷口を広げない」

消極性は時に必要な自己防御法である。

悪い状況において、私たちがもっともやってしまいがちな失敗パターン。それは、自分で自分の傷口を更に広げてしまうことである。

悪い状況が目の前にあるとき、「すべては自分次第だ。この状況を今すぐ変えよう!」と流れに抗う。その結果、更に問題を難しくしてしまい状況は悪化する。それはまさに、「泣きっ面に蜂」である。

悪いときに逆転を試み更に状況を悪化させる。それは私たちが自分で自分を追い詰める、完全なパターンである。ここで必要なのは積極的な行動ではない。むしろ必要なことは、それ以上状況を悪くしないために、じっとしていることである。

自己を主張しない。不要な発言、積極的な行動を控える。そんな守勢の行動である。静かに、まるで存在しないかのように万事控えめに振る舞う。流れが明らかに変わったことを確信するまでは。

最後に

春が来れば花は咲く。暑い夏を迎え、そして秋が来れば木々の葉は枯れていく。そして寒い冬が訪れ、冬が過ぎ去れば再び、春がやって来る。

人生は良いとき悪いとき、それぞれが循環し、一つの大きなサイクルを形作る。だから良いときだけの人生はありえない。そして、良いことしか起こらない人生を生きる意味はない。

私たちの成長が最も約束されているのは、人生が悪い状況を迎えているときである。私たちは悩み、苦しむ。だからそれを乗り越えたあと、人として大きく成長することができる。

それを避けることはできない。だが、その痛みを抑えることはできる。悪いときは悪いとき。それは人生という構造上、仕方がない。「今はそういうとき」と受け入れ、控えめにして時を待つ。

むやみに動き、自分で傷口を広げないことが肝心である。