人生可能な限り摩擦は少ないほうがいい。そこで発揮するのが「スルー力」

私はノーダメージです

世の中は多種多様。様々な立場の人が、様々な考え方を持ち、日々それぞれの存在を主張する場所である。

違いがあれば当然、摩擦が起こる。私たちにとって自然なことも誰かにとっては不自然であり、私たちの行動や考え方がすべての人に理解され、受け入れられることはない。一方的かつ理不尽に批判を受けることは、生きている限りごく自然に起こりうる。

そこで何か起こるたびに「言われたら言い返す」「レスバする」というチョイスもないことはないのだが、たいていの場合、それらの行為は時間と労力の無駄であり、有益な何かを得られることはほとんどないのが実情である。

だからこそ必要なのは「スルー力」。本当にその必要がない限りは何を言われても「そうですか」と受け流し自己主張や反論はしない。摩擦が起こってもそれを「なかったこと」として振る舞う。

この姿勢は、私たちの体力や時間、貴重な労力、そしてQOLを守る上でとても重要なことである。

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はじめに

私たちは誰もが無意識のうちに、自分自身を守ろうとする。その結果、摩擦が生じたとき、ついつい反論や自己主張を行うことによって、更に状況が泥沼化させてしまうのはよくある話である。

この世界で生きている限り、私たちの人生で摩擦が起こることは構造上避けられない。

誤解される。非難される。精神的な権力闘争に巻き込まれる。私たちが望む望まないに関わらず、この世界に存在し続けている限り、それらは避けられないことである。

だが、「摩擦が起こったとしても自分を疲弊させない」というチョイスを選ぶことは可能である。

何を言われても(それが本当に必要なことである、もしくは必要な場面である場合を除いて)反論しない、言い返さない。そもそも人から自分のことをわかってもらおうとしない、受け入れてもらおうとしない。

この姿勢を意識し、可能な限りの摩擦を「自らの意思で」「自覚的に」スルーするのである。

生きている限り摩擦は生じる。問題はそのとき

何を言われても「柳に風」。摩擦に対していちいち反応していては、人生楽しいこともつまらなくなってしまう。

先に述べたように、私たちは正当な理由がなくても、些細なことや理不尽なこと、他人からの誤解によって衝突は起こる。生きている限り、そういった事態に巻き込まれることそれ事態を、避けることはできないだろう。

だからこそ、自分自身のチョイスが重要である。

人から何かを言われるたび、意味不明なトラブルに巻き込まれたとき、問題が起こったとき、その都度その都度、顔を真っ赤にして反応していれば、やがて自分自身の健康とQOLを害し、この世界に存在する喜びを著しく損ねてしまう。

特に、「自分の主張、考え、正当性を理解してほしい」「事実と違うことは今すぐ訂正させたい」という気持ちが強い人は要注意である。

基本的に世界は私たちの考えを100%理解してくれることはないし、世界が私たちの思ったとおりに動いてくれることは100%起こらない。むしろ世界はしばしば、私たちが期待していたこととは真逆の反応を示す。

心の平和を守る心構え

この世界は白でさえ時と場合によって黒になる。「それは間違っています!」と顔を真っ赤にして主張するよりも、「世界はそういうものである」と割り切ったほうが生きやすくなる。

なぜなら人生には「正しいこと」「事実であること」にこだわるよりも大切なことがある。

まず私たち自身が健康であること。私たち自身の生活を第一にし、心安らかに日々を過ごせること。最も大切なことは、心身ともに充足した、幸せな毎日を送ることではないだろうか。

冷静に考えれば、誰かと血圧が上がるようなやりとりをしたところで、それによって私たちの生活が豊かになるわけでもないし、幸福度が高まるわけでもない。

そして、私たちが他人からどのようなイメージを持たれようと、評価されようと、それ本当の意味で、私たちの価値を決定する重要事項にはなり得ない。それは見る人、評価する人によってコロコロと変わる、極めてあいまいな「イメージ」である。

この意味で最も重要なことは自分の自身の在り方。自分の心の平和を守るのは、他ならぬ自分自身である。

最後に

生きている限り問題は起こり続ける。周囲の人々と摩擦は生じる。なぜなら、世界は私たちをわかってくれないし、ありのままを受け入れることもない。むしろ世界は私たちを誤認する。

「人生は○○であるべきだ」「世界は△△であるべきだ」という理想はとりあえず横に置いておき、この前提で行動したほうがストレスを抑えて生きられる。

批判はされるものである。誰かから嫌われるものである。自分のことは分かってもらえない。その現実に対して、いちいち顔真っ赤にして反論したり、嘆いたりしても、それによって得られるものは現実的に非常に少ない。

それなら不要な摩擦は避けるに越したことはない。話し合いや自分の意見を主張することは、必要な場面、適切な場面を厳選して行えばいい。不毛な摩擦で消耗するより人生にはもっと、大切なことがあるのだから。