人生で何を手に入れたか。何を成し遂げたか。
「結果」は確かに価値があるが、それよりもっと大切なことがある。それは、「結果」を手に入れるまでの「過程」であり、「体験」である。
結局のところこの世界とは、私たちがそれぞれの人生で、必要なことを経験し、成長するための機会を与えてくれる場所である。
この世界を舞台に私たちは、嬉しいことや悲しいこと。幸せなことや辛いこと。様々なことを経験する。そして最終的にはこの世で経験する体験こそが、私たちがこの世界で「生きる意味」になるのだ。
はじめに
人にはそれぞれ、成長の過程がある。人生において必要なタイミングで、必要なことを経験し、気づき、成長していく。
「私の人生は○○が欠けている。だからそれがなんとしてもほしい!」という欠乏感を感じているなら。別にその気持ちをごまかす必要はない。
いやむしろ、あなたのなかで煮えたぎる欲望を肯定し、それを手に入れるために貪欲に行動することが、あなたの人生において必要な経験になるだろう。
今あなたが日々の生活に不安を感じているとき、お金を十分に持っている人に「大切なのはお金より心なんです」などと言われても、「それではあなたは、私の家賃を払ってくれますか?」と憤るのは当然の話である。
だから今あなたにとって渇望するものがあるのなら。それに執着し、全力で求めることが今の時点であなたにとって必要な「経験」であり、「学び」であり、「正解」である。
「今の自分」に必要なこと
私たちにはそれぞれ、発達の段階がある。
マズローという偉い学者が、「人の欲求には階層がある」と指摘したが、「では私は今どの発達段階にいるのか?」ということを自覚することはとても大切である。それこそが「今の自分が学ぶ必要があること」を示しているからである。
「現時点」で、自分にとって必要なことを自覚し、求める。その過程で経験する出来事。それこそが実は本当の意味で、あなたにとって必要な「経験」である。
だからしたいことがあるならばそれをすればいい。気になる何かがあるならば、それを追いかけていけばいい。そこでは様々なドラマが起こるだろう。あなたにとって本意なことも、そして不本意なことも起こるだろう。でも、それでいい。
「○○を実現した」より大切なこと
人生はいたずら好きだ。最悪の経験の中に最高を経験するためのヒントを隠してくる。
だから実際のところ、「長い目で見れば」日々起こる出来事を、「これは良いことだ」とか、「これは悪いことだ」とかを云々する意味はない。
そのときは分からなくても、必要な時間が経ったとき、「だからあのとき私はあの経験をすることが必要だった」と自覚する機会が与えられる。
だから人生が「良い」ときであれ「悪い」ときであれ。月並みな表現になるかもしれないが、私たちが選びうる最善の選択はとてもシンプルである。それが「今を生きる」という選択である。
そして今を生きること。今起こるあらゆることから意味を見出そうとすること。この経験こそが生きることそれ自体である。
最後に
『非常識な成功法則』という有名な本がある。その最後に、次のような内容が書かれている。
「成功してお金が手に入って恵まれた暮らしができれば人生めでたしめでたし。そんなことは起こらない。むしろ成功した瞬間、どん底に叩き落されるような出来事が起こる。生きている限り問題は起こり続ける」
なぜ人生何かうまくいったら何かがうまくいかなくなるのか?問題が起こり続けるのか?
それについてずっと考えてきたのだが、分かったことは人生を生きるということの、本質的な理由である。もし人生に意味があるとすればきっとそれは、何かを体験することなのだ。
私たちは体験することによって、学ぶ。学ぶから、成長する。人生を生きていく過程で何をし、何を経験し、何を学んだのか。本当に大切なのは、それらすべてひっくるめた、体験それ自体なのである。