自己承認欲求、それはいわば「認められたい病」。その根本の原因は

自撮りする女性

現代社会の大きな特徴の一つ。

それは「自分を認めて欲しい」という気持ち、すなわち自己承認欲求が著しく肥大化し、それにともなう心の空虚感を抱えている人々が増えているという点である。

その症状を端的に言えば「認められたい病」と言えるかもしれない。

私たちは社会的な動物である。自分という存在は、他者という鏡を通じてこそハッキリ見える部分は確かにある。この意味で「人から認められたい」と思うのは自然だが、問題は程度である。

何をするにも基準は他人。他人にOKを出してもらえなくては自分がOKとは思えない。だから事あるごとに自分の存在を主張し続け、周囲の歓心を買おうとする。

あなたの言葉で言うとそれは「かまってちゃん」が代表例かもしれないが、そんな気持ちを発端としたあらゆる行動はあいにく、真逆の現実を引き寄せる。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

はじめに

私たちは天の邪鬼だ。「~して欲しい」と求められるほど、それをしたくなくなってしまう。

「私のことを見てください」「認めてください」と強く求めている人が、むしろ逆にますますその存在を認められなくなってしまうのは、こうした私たちが持つ心理的な働きがあるゆえである。

一方で、あれこれ自己主張しないにも関わらず、自然に自分自身を肯定し、その存在感を強く発揮している人がいる。

なぜ彼らがが自分を過度に主張しないにも関わらず、周囲にその存在を認められているのか?重要点を一言で言うならば「自己認識」の違い、つまり自分についての考え方の違いである。

「◯◯できない」自分は本当にダメなのか?

私たちは成長する過程において様々な無意識の思い込みを溜め込んでいく。

人に与えられない自分には価値がない。誰かの役に立たない自分は価値がない。周囲に認められない自分には価値がない。人生がうまくいっていない自分には価値がない。

「◯◯できない自分は価値がない」このような、無数の思い込みを、植え付けられている。だがそれは本当にそうなのか?「◯◯できない自分」は本当に価値がないのか?

そもそもなぜあなたはずっと、「自分は価値がない」と考えるようになったのか?じっくりと、考える時間を取る価値があるだろう。

他人から認められてもあなたの気持ちは変わらない。なぜなら

人から認められようと認められまいと自分自身の見方、すなわち自己認識が誤っているならあなたは不幸であり続ける。

仕事で成功しようと、いい暮らしをしようと、悲惨な現実に堕ちようと、変わりなく不幸である。

その機会が来たときぜひ確認をおすすめしたいのだが、あなたの人生が上向き出して、今よりもっと収入が増え良い暮らしができたり、欲しいものを手に入れることができたり、様々な出会いがあって人から認められる機会が増えたとしても。

あなたの根本にある「何かが欠けている」不幸な感じは、今とそれほど変わらないだろう。結局本当の原因とは、根本の自己認識の誤りだからである。

さらに言うと、あなたが他人から認められても、承認を求め続ける限り、あなたの心は永遠に満たされない。

そもそもなぜ人から認められたいのか?

真実はシンプルだ。あなたはあなたでいい。

社会的に成功していようが失敗していようが、人生がうまくいっていようがいまいが、あなたはあなたでそれでいい。なぜなら、あなたにはあなたは理由があってここにいる。あなたがこの世界にいるだけで、すでに意味があるのである。

だからあなたはあなたでOKだし、あなたがあなたであることに、誰かの承認を得る必要はない。

さらに言うなら、あなたがその悩みを持ったことそれ自体が、あなたの人生において意味があることで、それは苦しいことかもしれないが、決して無駄なことではない。

もちろん、この事実を今すぐ納得することはできないかもしれない。今はただ、頭の片隅にこの話を入れておいてほしい。

最後に

「人はそれぞれ、価値がある」

本来は私たちはこの事実を知っている。ところが、生育の過程や環境によって、私たちは誤った自己認識を植え付けられる。

自分が価値があるかどうかを、誰かに認めてもらう必要があるのか?あなたは誰かに認められないかぎり自分にOKを出せないのか?承認してもらう必要があるのか?何が原因であなたが誰かの承認を必要とするようになったのか?

ぜひこの機会に、じっくり、できれば一人きりで、考えてみてほしい。