人を見極めるのには瞳を見るのが一番よい。瞳は自分の悪を隠すことができない。心の内が正しければ瞳も澄んでいるが、そうでなければ濁っているものだ。
言葉を聞いて瞳を見れば、その人の心のありさまが分かる。
渋沢栄一
目は心の窓と言われる。
すなわち、いくら表情を取り繕ったところで、その瞳に不正な何かがあるならば、表情はウソ。その人の本性は、信頼できない何かが隠されている可能性がある。
本性は簡単に偽装できる!
人の本性を知るということは、そう簡単なことではない。
実際のところ、いとも簡単に、人の表面的な見てくれによってだまされ、「この人の正体はこんな人だったの?」と、人間洞察の浅はかさを実感させられる。
だからこそ、「人の本性を見抜くためには○○すべきである」と短絡的に考えるのはそもそもが間違いの原因になのだが、その人の本質を察するために瞳を見るという方法は、試す価値がある方法である。
なぜなら、表情や雰囲気を表面的にごまかせても、その人の奥に宿っているものは、そう簡単に偽装できないからである。
目を見るとあやしい感じがする場合
あなたの周りにはこんな人はいないだろうか?
人の目を見て話さない人。目の奥が濁って良い印象を与えない人。表情はにこやかだけど、なぜか目が冷たい人。
彼らの言動ではなく、その瞳を見ることによって、「確かにこの人はこういう人なのかもしれない」という、直感が働くことに気づくはずである。
更に言うと、目の動きをチェックすることによって、彼らがあなたをどう思っているのか。その生々しい情報でさえ、推測することができる。
それは、彼らの表情だとか、発せられる言葉以上に、直感的に正しい情報を与えてくれる。その情報が示してくれていることは、極めてシンプルである。
「瞳に違和感を感じる人は用心せよ」
瞳が発する輝きに真実あり
人生を前向きに生き、そして周囲に対して。何より自分自身に対して誠実に生きている人の瞳は輝きが違う。
文字通りキラキラしていて、瞳そのものが、輝きを発している。
一方で、常に自分の利益だけ考えて、目の前の人に敬意を示していない人の瞳は、どこかくすんだ「にごり」がある。
それは口角を上げて笑顔を作っていても。さやかな外見をしていても。「違和感」を感じる何かがある。
気になる何かを感じたら、その瞳をそれとなく観察。「にごり」がないか、注意することである。
出典
『渋沢栄一「運」を拓く思考法』