仕事は選んでいい。よりよい仕事を選ぶ権利は誰にでもあるから

仕事で燃え尽きた男

よく「選ばなければ仕事はいくらでもある」というようなことを若者に言う年長者がいますが、それは間違いです。

よりよい仕事を選ぶ権利は誰にでもあるのです。死ぬまでやりたくもない仕事で身も心もすり減らせと言うのでしょうか。

好きで始めた仕事でさえ苦しいことはたくさんあります。その仕事をあきらめなければいけないことさえあります。

好きなことでさえ耐えなければいけないことだらけなのに、嫌いな仕事で頑張れる人などいません。

仕事の不満は人生の不満と言ってもいいでしょう。

不満というものは、目をそらして背を向けるとどんどん増え、何倍にもなって追いかけてきますが、真っ向から戦えば小さくなるものなのです。

だから、自分の不満を直視して戦うのです。

小池一夫

私たちはこの世に生まれた以上、なにか仕事をして、お金を稼ぎ、自分の生計を成り立たせなければいけない。

問題は、何の仕事をして、という話である。

人生の大半は仕事をして過ごす。それであるなら、仕事はただ、お金のためだけにするものではない。

もちろんのお金のためもある。しかしそれ以上に、自分の人生を充実させるためにするものである。

この意味で、仕事はできるなら選びたい。自分が「これだ!」と完全コミットできる仕事を選びたい。

スポンサーリンク

なぜやりたくない仕事を選んではいけないのか

世の中、選ばなければ仕事はたくさんある。

自分の好き嫌い。適切の有無を完全無視して、自分の年齢と職歴に応じて提案された仕事を選べば、採用される確率は低くはない。

それで幸い、その仕事が苦痛でない。一応役割をきちんとこなすことができる。そういう場合はまだ運がいい。

ところが実際は、やりたくない仕事にひっかかる可能性の方が高い。

生活のためにやりたくない仕事をムリして頑張る。これは人生長い目で見ると、非常に損である。

毎日朝起きるのがまず苦痛になる。職場に行き仕事を始めても、自分の人生そのものを著しくムダにしている感が強い。

ひたすら早く、次の休みが来ることを願う。だから、仕事をする本当の意味での楽しさ。充実感を味わうことができない。

それは、稼ぐ賃金以上に、人生完全な損である。これは決して、綺麗事ではない。

何度も転職を考えてしまうのは

嫌な仕事。向いていない仕事をしているとき。そこにはつねに、自分の人生をムダにしている感が拭い去れない。

真っ当な人であれば、その気持ちをなんとかおさえて、自分に課せられた最低限の役割はこなすだろう。

しかし、それでは真に、自分の本来の適正を発揮していると言うのは難しい。だから決して、満足できないし、「自分の仕事はこれでいいのだ」と確信することができない。

だからいつも「転職」に心を惹かれ、どっしりと自分の未来を見据えることができない。

何より、自分の人生は本当にこれでいいのだろうか。自分の内なる声の叫びを無視し続けるのは、本当に辛い。

そしてその歪みは確実に、どこかで表出し、自分だけでなく、他の誰かも傷つけていく。

苦労を苦労と思わない仕事

嫌な仕事も、心の声を3年無視し続けることができれば心は死ぬので、仕事を続けていくことはできる。

その代償として「自分の人生を生きる」という、最大最高の生き方を妥協する必要がある。

この意味で、人生数少ない絶対に妥協してはいけないものがあるとしたら、その1つは間違いなく仕事選びである。

人に恥じないこと。反社会的でないこと。誰かを傷つけないこと。まともな賃金をもらえること。

こういった当たり前の条件はもちろんのこと、自分に向いていること。していて苦痛ではないこと。「この仕事なら苦労してもかまわない」と思えること。

そういう仕事を選びたい。仕事の不満で、人生を台無しにしないために。

出典

『人生の結論』(2018年、朝日新書)