言葉は精神の「形」。現実を創る見えない力の正体

夕暮れに空を見上げる男

言葉は精神を啓示する偉大な機関であり、精神が自分に与える第一の眼に見える形であります。この思想にして、この言葉ありというわけです。

シャルル・ヴァグネル(『簡素な生活』より)

我が国には「言霊」という概念がある。

言葉には神秘的な力が宿り、発した言葉が現実を引き寄せるという世界観である。良い言葉は良い現実を、悪い言葉は悪い現実を招くという「因果」を前提としている。

もちろん、言葉が直接現実を物理的に変化させるわけではない。しかし、言葉は認知を変え、認知は行動を変え、行動はやがて現実を変える。この連鎖を考えれば、言葉が現実を創るという考えは、あり得ない話ではない。

実際、自分が発した言葉が回り回って自分に返ってくる現象は、日常に溢れている。「口は災いのもと」という諺があるのもそのためである。一度外へ向けて放たれた言葉は、取り消すことができない。

その一方で、言葉は人を励まし、ときに人生の進路さえ変える力を持つ。他人のためだけではない。自分のためにも、自らが発する言葉に然るべき注意を向けることは、とても重要である。

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はじめに

フランスの教育者、ヴァグネルが説いたように、言葉とは『精神が自分に与える第一の眼に見える形』である。それは、私たちが言葉を通して、自分自身を現実に表現しているということを意味する。

言葉は無意識に漏れ出すものではない。それは選ばれている。選ばれたその言葉に、その人の精神の輪郭が映し出される。

普段から他者を思いやり、何をどう伝えるべきか熟慮する人が、他者の傷をえぐるような言葉を用いる可能性は低い。

一方で、他者の痛みに鈍感どころか、そこに優越を感じる人もいる。彼らが配慮の少ない言葉を選ぶのは偶然ではない。言葉は精神の可視化である以上、その選択は「精神が自分に与える第一の眼に見える形」である。

そしてここに重要な点がある。言葉は思考を固定し、思考は選択を固定する。固定された選択の積み重ねが、その人の現実を形作る。こうした言葉の仕組みを理解するために大切なポイントが、2つある。

自分の言葉を、一番近くで聞いている人

1つ目は、発せられた言葉は真っ先に自分の心に降り注ぐという事実である。

言葉を口にする過程において、私たちの脳と耳は常に連動している。つまり、自分が放つ言葉は、自分自身への「語りかけ」でもあるのだ。

「どうせ無理」

「疲れた」

「最悪だ」

こうした言葉が口癖になるとき、精神はその響きを繰り返し浴びることになる。やがてそれは明確な自己像となり、行動の選択肢を狭めていく。

心理学においても、自己暗示や認知の再構成が行動変容に影響を与えることは広く知られている。言葉は単なる音ではない。それは自己認知の枠組みそのものである。

言葉が精神の「形」であるならば、否定的な言葉を使い続けることは、自分自身をその枠の中に閉じ込める行為に等しい。

言葉選びは、あなたが住む「世界の解像度」を決めている

2つ目は、言葉選びはその人が世界をどう解釈しているかを示す「解像度」の問題ということだ。

人は、見えている世界の範囲でしか言葉を選べない。ゆえに、その語彙はその人の世界観そのものを映し出す。

世界を「敵か味方か」という二元論で見る人は、攻撃的な言葉を選びやすい。脅威を前提とした認知が、攻撃的な語彙を呼び込むのである。その言葉は緊張を生み、やがて本当に緊張した関係性を築いてしまう。

反対に、日常の中に「有り難い」ものを見出せる人は、感謝の言葉を自然に発する。その人は世界の明るい側面を見ているのである。そしてその言葉は、再び温かい反応を引き寄せる。

言葉は世界の写し鏡であり、同時に世界の編集装置でもある。どの語彙を選ぶかによって、見える景色は変わる。そして変わった景色が、再び言葉を変えていく。

結果として、自分が発する言葉は、その言葉に呼応する人々や情報の質にも影響を与える。いわゆる「類は友を呼ぶ」現象である。

世界を変えたいのであれば、まず言葉を変えることである。望む世界に通じる語彙を選び、使い続ける。その行為は、未来の現実を精神の中で先取りして形にする、人生の営みである。

最後に

『あなたの悩みが世界を救う』という本がある。成功した経営コンサルタントの著者が、相談者の悩みに答える内容だが、そのなかに、次のような話が紹介されている。

起業を目指す二十代の青年が、交際相手の女性に「俺、起業しようと思うんだ」と打ち明けたところ、返ってきた言葉は「ばっかじゃないの」であったという。

これに対し著者は、その青年に「そんな女性とは今すぐ別れなさい」と助言する。

将来を見据え、真剣に志を語った相手に対して、「ばっかじゃないの」という言葉しか返せない。その反応は、単なる冗談では済まされない。そこには、その人の世界観が露わになっている。

著者が問題にしたのは、起業の是非そのものではない。志を語る人間に向ける言葉の質である。夢を語る相手に冷笑を向ける言葉は、その関係の未来をも規定しかねない。

仮に青年が成功したとき、その言葉を発した人物は、果たしてその歩みに伴走できるだろうか。そうした問いが、助言の背景にある。

確かに、発せられた言葉は一つの事実を体現しているように思える。それは単なる音ではなく、その言葉を発した人物の人間性の一端である。

つまり、言葉とはどこまでも「精神が自分に与える第一の眼に見える形」。発せられる言葉には、やはり何かが宿っていることは、確かなのだろう。

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