自分自身とは何か、それがどこかにころがっているわけではない。「そのままのあなたでいいの」という甘いささやきが表すような安易なものでもない。それは、各人が生涯をかけて見出すものだ。
しかも、それはあなたの過去の体験のうちからしか、とりわけあなたが「現におこなったこと」のうちからしか姿を現さない。
とくに、思い出すだけでも脂汗が出るようなこと、こころの歴史から消してしまいたいようなこと、それらを正面から見据えるのでないかぎり、現出しない。
中島義道
自分は何者で、どこへ向かい何を成すのか。それは一生、生きている限り続いていく謎だ。
ある時の自分は頑張りやさんで、目標に向かって努力を惜しまなかった。でも、ある時の自分は、何もかもが嫌になって、毎日ダラダライヤイヤ、惰性で過ごすだけだった。
そんなふうに、自分はいつも同じではなくて、時間、気分、場所、過ごす相手、いろんなものによって、常に変わってしまう。だから、自分を探して自分を見つけるというのは実はとても難しいことなのかもしれない。
これが自分は受け入れる考え方!
「自分とはこういう人間である」と自分を厳密に決めつけるより、「こんな自分も、あんな自分もあるさ」と、いろんな自分を全て自分として受け入れる。
それが、自分を見つけるということ。
良い自分悪い自分、魅力的な自分にダメでイケてない自分。プラスとマイナス、いろんなものがあるけれど、それはそのまま全て自分。
自分を探すことは、今ある自分を受け入れること。それでいいんじゃないか、という気がしてくる。
だから自分を探さない!
自分はどんなときも自分。他の誰かになることはできないし、他の誰かが自分の人生を生きてくれるわけでもない。
それなら好きでも嫌いでも、自分は自分でそれでいい。今まで存在してきた自分の全てを否定せずに受け入れてしまえば、驚くほど人生がうまく回りだす。
つまり自分にこだわること。自分を否定して他の誰かになろうとしないこと。その先で分かる。自分とは何者なのか。そして今自分がなぜ、ここにいるのかも。
最後に
自分を探す。
それは簡単なようで簡単なことではない。でも、自分がここまで生きてきたその全ての道程を振り返ることで、自分は自分。「こういう人間なのだ」という片鱗に気づくことができる。
そこに良い悪い、好き嫌いの判断は必要ない。なぜなら自分は自分。この世で同じ人間は存在し得ないからである。
気づいたヒントを頼りに、更に人生を進めていく。こうしていつか、本当の自分が見つかる。つまり今すぐ本当の自分はこうである。そんな結論を出す必要はない、という話である。
出典
『不幸論』