誰かの幸せを考える前に、まず自分の幸せを考える

幸せを探して

遠慮しても誰も幸せにはならない。

それならば、まず自分が望む生き方をすることである。もっと自分の気持ちに素直に生きていいのである。

岡田尊司(精神科医)

したいことを我慢する。

本当は自分はこう生きたい、こっちへ進みたいと思うけれど、それをすると、周りの誰かをがっかりさせてしまうのではないか。自分さえ我慢すれば、皆が幸せになれるのではないか。

そんなふうに悩んで、自分の本当の気持ちを隠して、自分の幸せを諦めてしまう。

自分の気持ちを隠して周りに合わせて遠慮する生き方は、周りの人から見れば便利で都合がいいかもしれないが、当の本人にとっては、苦しい生き方に違いない。

というのは、いくら遠慮して我慢して周りのために自分を殺していても、「こいつは多少のことなら我慢してくれる便利な存在だ」くらいにしか思われていないからだ。

残酷な話、人のために我慢をすればするほど、ますます軽く扱われ、自分の人生が軽んじられていく。我慢していて何かが変わることはない。むしろ状況は悪くなることが多いのだ。

人のため遠慮して自分の気持ちを殺して我慢する。

それは一見、自己犠牲的で献身的な素晴らしい行為ように思えるかもしれないが、我慢する本人には何のプラスにもならず、我慢を敷いている周囲の人々を傲慢に、醜くする。

早い話、誰かの犠牲によって築かれた幸せは、誰も幸せにできないのだ

だから、「あの人のために私は我慢しよう」とか、「私さえ我慢していれば皆幸せになれる」とか、そんな気を遣う必要は一切ないのだ。

私は私、あの人はあの人、人は結局自分のことしか責任を取ることができない。

誰かの幸せを考える前に、まず自分の幸せを考える。そして、自分が望む生き方をすることだ。もっと自分の気持ちに素直に生きていいのだ。

遠慮しても幸せにはならない。する必要のない我慢はやめて、もっと自分に正直になろう。

出典

『生きるための哲学』(河出文庫、2016年)