完全に幸福になり得るのは白痴にのみ与えられた特権である。
芥川龍之介
人は幸福を求める。
不快より快を求めるのは、当然のことだ。だからこそ、世の中は不幸であることより幸福であることを賛美する。
しかしあいにく、幸福な人は少なく、不幸を感じる人の方が多い。
不幸な人生を不満に思い、冴えない日常にうんざりする。そして、自分の人生を卑下する。
生きている限り完全な安心は絶対に手に入らない
不幸な人は幸福を善とするが、幸福は善などではない。
「全て上手くいっています。私は幸せです」
と大声で言える人は、自分を騙しているか、物事が見えていない盲目の人だ。
私の人生には制限がある。
私は他人を変えられない。
私にはできる事とできないことがある。
愛して、愛されない悲しさがある。
まともな客観性を持つ人なら、何もかもすべて、完璧になり得ることはできないと知っている。
人生不幸でもそれでいい
人生、何もかも思い通りにいくなどあり得ないと知っている。人生、問題の連続であることを知っている。
だからこそ、「人生全てうまく行っている、私は完全に幸福です」と言える人は、自己欺瞞の人か、現実を見ない盲目の人なのだ。
「今、自分は不幸だ」と感じていても、嘆く必要はない。ある意味、不幸であるのが当然なのだ。
もともと人生、生きることは大変で、楽なものではないのだから。
出典
『侏儒の言葉・西方の人』(新潮文庫、1968年)
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