人生はいろんなことが起こる。良いことも悪いことも、生きている限り起こり続ける。そこで重要なのは起こった出来事に対する私たちの受け止め方である。
そこでこの記事では、人生で起こることを可能な限り肯定的に受け止め自分を磨く糧にしたい方に向け、一つの考え方をご紹介したい。
この考え方を人生のあらゆる場面で自覚的に用いることによって、「私の人生は良いことしか起こりません」とはならないかもしれないが、日々起こる出来事や状況に対して、多少なりとも心の余裕を持って向き合えるようになると考えるからだ。その考え方がこれだ。
「それは学びかもしれない」
はじめに
あなたの人生の意味を定義する唯一の人物。それはあなたである。あなたの人生において重要なのは、他人があなたの人生を云々することでも評価することでもない。
あなた自身があなたの人生それ自体を始め、日々起こることに何らかの意味付けを行うことによって、それらは価値があるもにも価値がないものにもなる。あなたが自分の人生を無意味であると意味づければそれはそのように思えるだろう。
だが、「ちょっと待て、自分が自分として今ここで経験することは自分の人生において何か意味があるかもしれない。ここから、何かを学ぶ必要があるのかもしれない」という考え方を選ぶことによって、実際にそれは意味を持ち始める。
自分が何者であれどのような状況にあろうとも、自分の人生がそこにあり歩んでいる。「それはきっと何らかの学びがあるから」という考え方は、自分自身の人生と向き合うための大切な考え方である。
「意味」を自分で見出す
実際の現実として、「なぜ、このようなことが私の人生で起こるのですか?」と天を仰いでしまうような出来事は起こり得る。どれだけ保証を求めようと、安全を求めようと、それが起こるときは起こる。
問題はそれが起こったときの選択である。そこに全く意味がないならば、理由がないならば、「そんなことは起こらないほうがマシ」と考えることは極めて自然である。
だがそこで「この出来事はもしかしたら、私が何か学ぶ必要があることを学ばせてくれているのかもしれない」と考えることによって、私たちの内部に一つのブレイクスルーが起こる。
起こったことに「学び」という視点による肯定的な意味付けを行う。そしてそれは人生において「意味」を生じ始める。すなわちそれは理不尽ではないかもしれない。無意味ではないかもしれない。その可能性に、気づき始める。
気づく。学ぶ。そして
「◯◯が起こったおかげで人生が目に見える形で好転しました!」
「◯◯に気づいた結果、私は毎日幸せに過ごせるようになりました!」
起こった出来事を吉とするか凶とするかは私たちの受け止め方次第である。
それが学びのために起こったことであるならば、私たちは「そこから何かを学ぶ」という機会を得ることができる。そして学ぶことによって私たちの意識は変わり、現実を変えていくことができる。
たとえそれが凶の出来事であれ、何かの学びを得ることによってそれは将来における吉に変えることができる。だがそれが無意味でただの不運であるならば、私たちにできることはなにもない。ゆえに重要なのは私たち自身の考え方である。
「人生でそれが起こった。なぜ?もしかしたら◯◯を知るために、学ぶためにそれは起こったかもしれない」
このように考えることは、私たちが人生で起こったことに対して主体的かつ積極的に向き合う方法なのである。
最後に
自分の人生の価値を決めるのは自分自身である。なぜなら私たちはそれぞれ、自分自身の人生を意味付けることもできるし、無価値付けることもできるからだ。
もしかしたら人生に生きる意味などないかもしれないし、起こることには意味はなくて、「ただ起こっているだけ」と考えることはできる。その一方、「それは学びかもしれない」と考えて、起こったことに肯定的な意味を見出すこともできる。
人生で起こったことの意味を見出すこと、それは人生と向き合う積極的かつ主体的な態度と言える。私たちは人生で起こることに対して一方的に翻弄されるだけの存在ではない。なぜなら人生で起こったことにどのように向き合うかは、私たち自身が選べるのだから。