光を見失わないようにするためには、ただ目を閉じないようにしていればいいのです。
カレーニン
意識を向けるものは拡大する。それが良いものであれ悪いものであれ、意識を向けたものを自らの人生に招き入れる。
逆に言えば、今そこにあるものでも自らそれを見ようとしなければ、それを見出すことはできない。だが、それがどんなに小さいものであってもそれを見出そうとするならば、それは必ず、見つかる。
だからこそ大切なことはただ一つ。「何を見ようとするか?」という自覚的な選択である。
はじめに
物事の悪い部分を探そうと思えばいくらでもそれは見つかる。しかしそれをし続ければ、この世界は生きるに値しない暗黒の世界のように見えてくる。これから先、ますます悪いことが起きそうな気がして、心の平和は一瞬たりとも訪れない。
だが、この世界には光があると信じ意識的に物事の良いところを探そうと心がける。するとこの世界には様々な奇跡、喜び、可能性が残されていることに気づく。
意識を向けるものは拡大するこそ良いところに焦点を当てるのか?それとも悪いところに焦点を当てるのか?その選択は重要である。そしてそれを選ぶのは自分自身である。
光は見える。それを見つけようとするならば
あたりは闇に包まれ、未来は文字通り「お先真っ暗」。人生にはそんなピンチが周期的に訪れるがここで重要なのはピンチそれ自体ではない。なぜならピンチの到来によって本当に問われているのは自分自身の態度だからである。
何一つ見えない深い闇の中でさえ光を探すことはできる。それがたとえどれだけ小さな光だったとしても、私たちがそれに気づき、意識を向けるならば、その光は徐々に輝きを増し始める。
だからこそ重要なのは、どんな状況に陥ろうとも自分自身がそこに一条の光を見出そうとすることなのである。それは自分自身で選ぶことができる。
「もはや自分には何もできることはない」とあきらめるか。それとも、「まだ希望はある」と未来を信じるか。選ぶのは、自分である。
こうして道は開かれる!
「自分にできることは何ひとつない」「何をしても現実は変わらない」と希望を捨てることはとても簡単である。それは誰にでもできることであるが、困難な状況のなかで「これからきっと良くなる」と信じることはかんたんなことではない。
だからこそそれは選択である。人生をあきらめない。未来をあきらめない。その選択は人の意思である。自分の道を信じるという、自発的な選択である。だからこそその意思には力が宿る。そして、やがて道が切り開かれる。
そこに未来が良くなるという証拠が一切なかったとしても。信じることによって、やがて証拠は顕現する。自分自身が希望を捨てないかぎり、道は新たに、現れるのである。
最後に
人生には自分自身が何かに試される時があるように思う。それは人生がうまくいっているときではない。むしろ困難なときにこそ、自分は何者なのか?何を選ぶのか?試されているように思う。
困難が訪れているとき、それに膝を屈するのはとても簡単である。だが、「これからはきっと良くなる!」と信じて逆風に立ち向かうことはそう簡単なことではない。そこには意思が必要である。「自分の人生はこれから良くなっていく」という信念が必要である。
だからこそそれは選択なのだ。「困難のなかに希望を見出す」という自覚的な選択なのである。
出典
『アンナ・カレーニナ(下)』