大切なのは、自分が何をすれば幸せになるかを知り、その経験に惜しまず金を使うことだ。
時間と金を最大限に活かすための”カギ”はタイミングにある。人生の充実度を高めるのは、”その時々に相応しい経験”なのだ。
時間と金という限りある資産を、いつ、何に使うか。この重要な決断を下すことで、私たちは豊かな人生を送れるのである。
ビル・パーキンス
人生の充実度、そして意味を決定するもの。それらは限られた時間のなかで、限られたことを選択し、することによって決定される。この意味において、できることやしたいことを、それが「できるうち」にしておくことはとても大切である。
私たちがこの世界に滞在することができる時間は、一日一日と減っていく。昨日できたことが(意識するしないに関わらず)今日できなくなっていく。
だからこそ、である。現時点でできることがあるならば。したいことがあるならば。可能な範囲でいい。無理のない小さい範囲でいい。それを「今のうち」に、しておくことが大切だと思うのである。
それによって私たちは人生の締切りが訪れたとき、するべきことをしなかったことを後悔しないで済むのだから。
はじめに
「旬」という言葉がある。それはすなわちタイミングである。人生にはその都度その都度、「今このときのみできること、味わえること」がある。そしてそのときをそれをしたかしなかったか。そこで人生は分岐する。
確かに人生にはしてもしなくても特に影響がないことはたくさんあるが、人生で「同じ経験」をすることはできない。同じことをするにしても、年齢といったタイミングによって得られる経験は、全く異なる。だからこそ大切なのはタイミングである。
もし今したいことがあって、それができるのであれば。今こそがそれをする絶好のタイミングかもしれない。「今でなくてもいつかできる」と思っていると、やがてそれをする機会は失われる。そしてそれは、「あのとき◯◯しておけばよかった」という後悔へ続く。
今は確かに今としてそれができたとしても、明日どうなるかはわからない。だからこそ、である。したいことができるなら。それができるお金と時間があるのであれば。「楽しみを先延ばしにする」のではなく、今それを始めよう。
「した」後悔より「しなかった」後悔
したいことをする。その結果は大して重要ではない。重要なことは、「したいことをしてきた」という事実である。その事実が人生に刻まれるからこそ、そこに「後悔」は残らない。
当メディアでも機会があるたびに記述していることだが、もはや残りの人生が見えてきた人々が語る大きな後悔の一つは、「したいことをしてこなかったこと」であると言う。
「した」か「しなかった」というシンプルな違いは、「後悔」という名の重要な違いを生み出す。したいことをした結果、それが望ましい結果にならなかったとしても「私はやるべきことはやりました」という事実は残る。
だが、一歩を踏み出せずに居続けることによって時間は無慈悲に過ぎ去り、そしてそれをする機会は失われる。その結果、「あのとき、◯◯をしておけばよかった(そうすれば私の人生は・・・)」という「可能性への幻想」が残り続ける。
繰り返す。結果は重要ではない。重要なことは、「した」か「しなかった」か。それだけの違いである。その違いが積み重なり続けることで人生は分かれる。
一つはしたいことをすることによって様々な思い出が増えていく豊かな人生。もう一つは目に見える「現実」のみを追いかけ、生存することのみに執着する人生。この2つに、分かれていく。
まずは、できる小さいことから
したいことを経験することができる人生は豊かである。だからといって私はここで「したいことがあるならば、借金してでも会社を辞めてでも今すぐそれをしてみましょう」と主張したいわけではない。
生きていくことは大変なことだし、そのためにしたいことを犠牲にしなければいけないときは確かにある。お金を大切にし、将来のことを考えて貯金をする。投資する。それは素晴らしいことだし、自分の世話を自分ですることができることはとても大切である。
とはいえ問題は、「現実」だけに囚われすぎることによって、私たちの人生における大切な経験をするための機会を失ってしまうことである。
ここで述べているのは、今それをするお金と時間があり、かつあなたが「それをしてみたい!」と心にワクワクしたなにかを感じているなら、それをしてみましょうという話である。
まずは小さいことでいい。嬉しいこと。楽しいこと。幸せを感じること。ワクワクすること。そんな気持ちを感じられる小さなことから、「私はそれをすることを、自分に許します」という許可を与えてみよう。
それこそが私たちの人生を豊かにする経験なのである。
最後に
2020年を契機に、改めて自分の生き方について考え始めた。そこで常々考えるようになったことがある。それは「生存のための人生に意味はあるのか?」という疑問である。
人生は長いようで短い。結局、物質は私たちの暮らしを一面的には豊かにしてくれるが、それが豊かさのすべてではない。「あのとき私は◯◯しました」という経験や思い出の積み重ね。それこそが人生という旅路の一コマ一コマを彩る豊かさである。
確かに人生はいつでも、したいことをしたいようにできるとは限らない。それをするために、なにかを差し出す必要があるかもしれない。ときに、それをするために「私はそれをします」という決断が求められるかもしれない。
だが、もしそれができるなら。それをすることによって心が喜びを感じるなら。それをする許可を自分自身に、与えていい。人生は最終的に手に入れたものよりも人生でしてきたことに、意義と価値を見出すことができるのだから。
出典
『DIE WITH ZERO』