チャールズ・ダーウィンは「人間にとって重要なのは、頭のよさよりも心の態度である」と言ったという。
つまり、価値ある人生を送るために本当に必要なのは、学問の世界で言う頭のよさではなく、真剣にものを考え一事専心する態度であると言いたかったのだろう。
渡部昇一(『新・知的生活の方法 知の井戸を掘る』より)
頭が良い人や、能力に恵まれた人が、必ずしも社会的に成功するとは限らない。逆に、誠実で心のきれいな人が、必ずしも幸せな人生を送っているとも言えない。むしろ、その逆のように見える現実に、私たちは戸惑いさえ覚える。
世の中には、一見「矛盾」と思える出来事が、いたるところに転がっている。努力すれば報われるはず。人柄が良ければ、きっと良い人生が待っている。そんな私たちの素朴な信念が、現実の前であっさりと裏切られることもある。
私たちは、才能や努力、人柄や能力といった「わかりやすい価値」こそが、人生の質を決定づけると信じている。だが、本当にそうだろうか?
もしかしたら人生を左右するものは、もっと目に見えない、けれど確かに存在する何かなのかもしれない。それこそが、ダーウィンが語った「心の態度(マインドセット)」である。
はじめに
物事がうまくいく。あるいは、うまくいかない。
そんなとき、私たちはたいてい「能力」や「方法」に原因を求めようとする。確かに、そこに原因がある場合もあるし、それが「論理的」な思考だとされている。
だが実際には、能力が高くても結果が出ない人もいれば、能力がさほど高くなくても、驚くような成功を収める人もいる。
たとえば、自分の会社や、身の回りの社会を、感情を交えずに見渡してみてほしい。あなたよりも上の立場にいる人たちが、本当にあなたより優れた能力や才覚を持っていると、心から確信できるだろうか?
もちろん、実力と成果が見事に一致している人もいるだろう。だが一方で、「なぜこの人がこのポジションに?」と首をかしげたくなるような場面も、少なくないはずだ。
つまり、話はシンプルだ。
「能力がある人が成功する」
「努力すれば報われる」
それは一つの理想だが、現実はそれほど単純ではない。
むしろ、冷静に世の中を観察していると、能力や努力、人柄以上に、何か別の要因が、人生を左右しているように思えてくる。
その「何か」に気づくヒントこそが、冒頭で紹介した言葉、「人間にとって重要なのは、頭のよさよりも心の態度である」なのではないだろうか。
能力、方法、環境より人生の結果を動かすもの
もしも「能力」や「方法」こそが、人生の結果を決定づけるのであれば、人生の因果関係は、きわめてシンプルなものになる。
同じ能力を持ち、似たような環境で育った二人が、同じことに取り組めば、当然のように「同じ結果」が出るはずだ。理屈としてはそうだ。だが、現実はそう簡単にはいかない。
たとえば双子。同じ親から生まれ、遺伝子を共有し、ほぼ同じ家庭環境で育つ。容姿も似ていて、受けた教育や経験も共通点が多い。であれば、学歴やキャリア、さらには人生の選択肢までも、ある程度似たようなものになる。そう考えるのが自然だろう。
しかし、現実にはそうならないことも多い。双子であっても、まったく異なる人生を歩む例は少なくない。似ているのは外見だけで、内面の何かが決定的に違う。それこそが、心の態度である。
同じ才能を持ち、同じ環境に身を置いていても、心の在り方が違えば、選ぶ道は変わる。
同じ状況にあっても、それをどう捉え、どう向き合い、どう決断し、どう動くかは、人によってまったく異なる。その差が積み重なり、やがて人生の行き先を大きく分けていく。
そう考えると、能力や才能、環境といったものは、人生を形づくるひとつの要素に過ぎない。本当の意味で人生を左右しているのは、自らの「心の態度」、すなわち自分の在り方そのものではないだろうか。
心が行動を決める。そして行動が現実を動かす
では、なぜ「心の態度」が私たちの「在り方」になっていくのだろうか。それは、心がすべての行動の起点になるからだ。
私たちは、目の前の出来事に対してどう考え、どう感じ、どう意味づけるか。それらすべてを心で決めている。そして、その心の在りようが、行動に表れる。
行動は、現実に対して何らかの影響を与える。そこには、私たち自身の思考や感情が込められている。だからこそ、その一つひとつの行動が、現実に痕跡を残し、やがて「人生のかたち」をつくっていく。
人生とは、その痕跡の積み重ね。だからこそ、行動の源である「心の態度」が、人生の結果を左右することになる。
たとえば現実には、こんなことが起こる。とても気ままで努力嫌いな人が、なぜか幸せそうな人生を送っている。一方で、自分を犠牲にしてまで他人のために尽くしてきた人が、苦労の多い人生を歩んでいる。
この現象を「能力」や「努力」だけで説明するのは難しい。だが、「心の態度」という視点から見ると、その背景が見えてくる。
前者は、「私は幸せになるにふさわしい」と心から信じているのかもしれない。だからこそ、自分にとって快適な道を選ぶことにためらいがなく、自然と良い現実に導かれていく。
一方後者は、他人の幸せには熱心でも、自分の幸せについては後回しにしている可能性がある。「自分は、苦労をしてこそ価値がある」と、無意識のうちに思い込んでいるのかもしれない。
つまり、心の在りようが、私たちに選ばせる「道」を変え、その道が人生そのものを形づくっていくのだ。
最後に
能力や才能、環境。私たちは、こうしたものによって人生が決まると信じている。
だが現実は、必ずしもそうとは限らない。同じような条件にある人々が、それぞれまったく違う人生を歩んでいく。
たとえば、童話『アリとキリギリス』では、遊んでばかりいたキリギリスは最後に飢え、
働き者のアリが報われることになっている。しかし、現実の世界ではその逆のようなことが起きることもある。
キリギリスは飢えるどころか、人生の春を謳歌し続け、アリは延々と働き続けている。そんな風景を、私たちは何度も目にしてきた。
では、その違いを生んでいるものは何か?もし、その答えがあるとすれば、それこそが「心の態度」である。
私たちの心は、日々の出来事に対してどう意味づけるか、どう受け止めるか、どんな姿勢で向き合うかを決めている。そしてその積み重ねが、やがて「人生のかたち」となって表れてくる。
だからこそ、私たち一人ひとりは決して無力ではない。なぜなら心の態度は、今この瞬間からでも変えることができるからである。
もちろん、これまでの心の在り方によって形づくられた現実を、今すぐ一瞬で変えることはできない。だが、これからの自分の在り方を、「いまこの瞬間」から見直すことはできる。
おかしいことに、おかしいと言っていい。自分や周りの人の未来を、もっと明るく描いていい。そのすべては、今この場所、今この瞬間、「自分の心にどう向き合うか」から始まる。
そしてその心の態度は、誰かに与えられるものではない。誰からも押しつけられない。それは自分だけが変えることのできる、自分だけの権利なのだから。
このテーマに興味を持った方におすすめ
