ひとは幸福になるために生きているいけれど、幸福になるようにデザインされているわけではない。
橘玲
私たちは、一人一人、生まれながらにして、幸せになる権利を持っているとされている。
しかし、現実問題、世の中には幸せな人と不幸な人がいて、誰もが幸せになる世の中ではないようだ。
現実は確かにこうだけど
穿った見方をすれば、人生の最初から幸せに近い場所にいる人、幸せから遠く離れた場所にいる人がいて、その点、幸せは平等ではない現実がある。
だから幸せになろうと思っても苦難続きの人生の人がいる一方、人生イージーモードで、人生何もかもが簡単に進んで、幸せを味わえう人がいるのだと思う。
こう書いているとなかなか悲観的かもしれないが、「幸せは不平等である」という現実を頭に入れておくことはとても大切なことだと思う。
不幸だから幸福を手に入れることができる
幸せとは不平等であること。
それを自覚することで、
「幸せは、ただ指をくわえて待っているだけでは、手に入らない。だから自分で手に入れてやるんだ」
という気概が心の中でメラメラと湧いてくる。
それによって、幸せから遠い位置にいるというマイナスが、どこかでプラスに転じるときがやってくる。幸せに恵まれなかった意味を、実感できるときがやって来る。
人生が恵まれている不幸
人生は冒険のようなものなのだから、最初から幸せで満ち足りているより、あれがないこれがない、ないない尽くしのところから始まった方が面白いのかもしれない。
最初から何もかも持っている、幸せにあふれている。そんな人生は、ゲーム開始時、チートで所持金MAXにして何不自由なく冒険をスタートするような、味気ないものだ。
おまけに、お金にしろ人間関係にしろ、最初から恵まれすぎていたら何が大切でそうでないのか、分からなくなる。
幸せではない、何もない、満たされない。そういう状況だからこそ、得たときの喜びが味わえるのだ。
マイナスはマイナスではない!
何もない、幸せでない。そこからスタートして、一つ一ついろんなものを獲得していく。自分の力で人生を進んでいく。
その感動や満足、幸福感は、きっと格別のものがあるだろう。そして、心から本音で、「俺の人生は幸せだ」と言えるときが来るに違いない。
この意味で不幸を味わうことは幸福を味わうための必須の体験。不幸続きだからといって、自分には何もないからといって、人生をあきらめる必要はないのである。
出典
『言ってはいけない 残酷すぎる真実』