井戸の中のかえるは大海を知らないということわざがあったようだが、大事なことは、このかえるが大海を知る可能性がないにしても、井戸の中にいる自分を、井戸の外から眺めることさえ出来れば、用はいくらか足りるような気もする。
白洲次郎
井の中の蛙大海を知らず。
人生で失敗しないためには、自分の分をわきまえることはとても大切なことである。
自分の分をわきまえるということは、自分という人物を正確に査定した上で、できること、そしてできないことを理解すること。
自分のことを客観視できるので、自分の分をわきまえない蛮行によって、自分の人生を自ら台無しにしてしまうリスクを、大きく抑えることができる。
この意味で自分の分を知るということは、安全第一。リスクや失敗を嫌う生き方を目指す人にとって、片時も忘れたくない言葉である。
あえて自分の分をわきまえない意味
ただ、自分の分をわきまえて生きていくことが、必ずしも人生幸せにつながるか。本当に後悔しない人生になるのかというと、それはまた、完全に別の話である。
人生あえて自分の分をわきまえないからこそ大きな挑戦をすることができる。人生でリスクを背負い、その結果、予想外の大成功をおさめることができる。
最初から自分の分をわきまえてしまったら、そんな想定外のエキサイティングな人生を送ることはできない。
つまり、大きな失敗もないかわりに、大きな成功もできない。ある意味、予定調和の人生を送ることになる。それは安全かもしれないが、非常に退屈な人生である。
安全な人生を手に入れる代償
先が見えている人生。その退屈さに耐えていくのは、ある意味不安定な人生よりも、きつい拷問になるかもしれない。
このことから、必ずしも自分の分を知ってつつましく生きていくこと。それが完全に美徳になるかどうかは、微妙な話である。
ときに人生、自分の分をあえて無視して、自分がしたいと思うこと。挑戦したいと思うことにチャレンジする。
そんなリスクテイキングしていく積極的な姿勢は、生きていく本当の喜びを実感するために、必要不可欠なことである。
何があってもこの人生は一度きり
それはもしかしたら失敗するかもしれない。その失敗によって、人生が悪い方向に進んでいくかもしれない。
それでも、そのリスクを取ったからこそ、人生は自分が想像以上に面白いことになる。山あり谷ありで、生きることに退屈せずにすむ。
自分の分を知り、できること。できないことをわきまえることも大切かもしれない。しかしそれは、自分を自分という枠の中に閉じ込めて窒息させる危険性がある。
自分の分を知ることもほどほどにして、ときに自分ができそうもないことに挑戦してみることも大切である。
なぜなら未知の人生は自分の予想の外。想定外の場所で見つけることができるものなのだから。
出典
『プリンシプルのない日本』