世の中には、人格や品性が素晴らしいわけでもないのに、信じられないほどの幸せな人生を手に入れて、我が世の春を謳歌する人がいる。
一方で、まるで疫病神に取り憑かれているかのように、人生で不幸が連続し、幸せをつかもうとしても、幸せをつかみそこねてしまう人がいる。
なぜ世の中には幸せな人と不幸な人がいるのか?このページでは、その答えについて、一つの見方を提示する。
幸せな人と不幸な人の決定的違いとは?
幸せな人と不幸な人。両者を分ける決定的な違いが一つだけあるとすれば、それは自己評価の違いである。
すなわち、幸せになる人は、「私は幸せな人生を送るのにふさわしい人間である。私の人生はうまくいく」と心の底から確信している。
だから実際の人生で「うまくいく」現実を引き寄せることができる。
一方で、人生がうまくいかずに不幸な人生を歩む人は自己評価が低い。低すぎる。
人生やることなすことすべてがうまくいっていないわけではない。しかし、人生がうまくいくような出来事がやって来ても。それを見事に自分自身でぶち壊してしまうのである。
なぜか。「私は幸せになる価値のない人間である」と心の底で信じているからである。
原因は「自分には価値がない」という考え方
世の中には、自分のもとに幸せになる大きなチャンスがやってきたにも関わらず、なぜかそれを、自分からぶち壊してしまう人がいる。原因は自己評価の低さである。
自己評価が低いから「こんな幸せは自分に相応しくない」と、自分が幸せになることを許すくことができない。
そして、自分から積極的に不幸を引き寄せる行動。もっと具体的に言えば、「私は幸せになる価値がない」ことを証明するための出来事を、無意識のうちに引き寄せている。
例えば暴力マンやヒモメンと付き合う女性。仕事がうまくいきだしそうになったとたん、信じられないようなヘマをして失敗してしまう男性。
これらは表面的には運の悪さや不注意が原因の出来事のように思えるが、事態は単純な話ではない。
悪い出来事が起こることの裏側には、「自分は価値がない」という、自己評価の低さ。無価値感の問題が隠されている。
だから「私は幸せになりたい」と意識の上で考えていても、なぜか実際の人生では、不幸なことばかり起こるのである。
「幸せになりたい」と思ったら
このように、幸せになるチャンスがあるのにそれをつかめずにいる理由は、自己評価の低さが問題の根底にある。
自己評価とはすなわち、あなたがこの世で手に入れるもの。成し遂げられることを規定する本当の原因である。
すなわち、自己評価が低いままだと、どれだけ「幸せになりたい!」と心に強く願ったとしても、幸せになりそうになったとたん、あなたは自らそのチャンスを台無しにする。
だからこそ幸せになりたい。良い人生を送りたい。そう思ったら、あなたは自分に対して、どのような評価を持っているのか。積極的に明らかにしていく必要がある。
たとえば、あなたには本当は欲しいけれど、「私がこんなものを手に入れるなんて・・・」と戸惑うようなことはないだろうか?どんなときに、「私には不相応」という声が聞こえてくるだろうか?
そこに、あなたが自分自身抱いている、本当の自己評価が現れている。
人生で手に入れるものは自己評価に比例する
逆に言えば、自己評価を引き上げることができれば、人生は驚くほど変わっていく。
今まで「不可能」と思えたことがカンタンに実現できる。不愉快で不幸せなことだらけの目の前の現実が、素晴らしいことだらけに変わる。
なぜなら、自己評価が高まることによって、あなたの潜在的キャパシティが圧倒的に引き上げられ、今まで気になっていたことでさえ気にならないくらい、心理的に余裕が持てる状態になるからである。
そしてあなたが「私は幸せな人生を送るに値する人間である」と心から確信すればするほど。目に見えて、目の前の現実が上向いていく。
今まで見えなかったチャンスが見えるようになる。そして、自分を信じて積極的に行動することができる。
ここに、人生の大きな不思議と可能性が隠されている。人は結局、自分自身が手に入れることを許したものだけ手に入れることができるのである。
最後に
「できると思ったらできるし、できないと思ったらできない」
これはシンプルだが確かな事実である。
人生であなたが「私は幸せになれる」と確信していれば実際にそうなるし、「私は幸せになんかなれない」と確信していれば実際にそうなる。
では、どうすれば「私は幸せになれる」と確信できるか?そこでカギとなるのが自己評価である。
あなたが「自分は自分で素晴らしい、価値がある人間だ」と確信することができれば、あなたは幸せを実感できる様々な出来事を引き寄せることができる。
あなたが「私は価値のない人間だ」と頑なに信じていれば、人生はその現実を目の前に提示しようとする。まずはそのことに、気づくことだ。