私は、一生懸命生きれば人生に成功も失敗もない、という単細胞的きれいごとを言いたいのではない。それは完全な嘘である。
一生懸命に生きても(いわゆる)失敗に足を絡まれる。のらくら生きても(いわゆる)成功は降ってくる。
多くの人はそう思いたくないばかりに、つい「成功した人はみんな大変な努力を重ねたのだ」と言ってしまうが、それは違う。
これは、ありとあらゆる世の中の理不尽を消してしまいたいという願望から出た怠惰な言葉なのだ。
中島義道
人生、努力すれば望みの人生が得られる。
頑張れば頑張っただけ、その努力が報われるなら、この世はもっとすごしやすい場所になっているだろう。
実際はというと、努力しても成功しないときもあるし、何もしなくても棚からぼたもちで成功がやってくることもある。
そもそも「努力はゼッタイ報われる」と考えることが
世界は不確実性が支配している不条理の世界。自分の努力で人生が良くならないことを認めるのは辛いことだ。頑張っても上手くいかない。
まるで、自分が無能で、何もできない小さな存在のように思えてくる。だからこそ、「努力するから成功する」と人は思いたがるのだ。
人生の幸不幸に人が関与できない「運」という絶対的要素があることを、認めたくないのだ。
頑張っても、自分が望む人生が手に入らない。そんなとき、人はどう生きるか?
なぜ生きるのか?
生きる理由は見つかるか?
人生に意味を見出すことができるだろうか?
生きる本当の意味は結果ではない
人生の理不尽な現実を目の当たりにしてもなお、生きていくのが人生だ。
不条理と不確実性の世界のなか、どのようにして人生を生きていくのか。その過程こそが、人生の価値となり、生きる意味となっていく。
だから結論からいって、人生努力が報われようが報われまいが、それ自体に意味も価値もない。
大切なのは自分という人生を、自分自身の意思と努力で精一杯、最善を尽くして生きていくことである。それさえできれば、結果が良かろうが悪かろうが、そんなことは意味を成さない。
なぜなら人生は過程が大切。今このときこのときを誠実に、かつ一生懸命生きていく。それによって学べることが、一番の価値なのだ。
そしてそこにこそ、「自分」という人生を、生きる意味があるのである。
出典
『働くことがイヤな人のための本』