人が真に愛情を示したいとするときは、人はもっとも屈折した表現を選ぶ。
太田登
好きだからこそ正直になれない。自分を見せられない。側にいて欲しいのに、嫌われるような行動をしてしまう。
人の気持ちは行動や態度だけでは測れない。人の行動はそもそもが不合理なものだ。
「心から」のことだからこそ、真っ直ぐ表現でその想いを伝えられない人がいる。皮肉にもそれがその人自身を孤独にする。
言葉より信頼できるもの
ただ、言葉で伝える愛ほどあてにならないものはない。それは耳心地はいいが、かんたんに信頼することができない。
なぜなら言葉は容易に嘘をつくからだ。この意味で結局、本当の愛情を測るには、その人の行動を見るのが確実だ。
行動はその人の考えていることの結果。結果には原因がある。だから、口から出る表現よりも、行動を見た方が、真実に近づくことができる。
この意味で、好きという言葉は愛情の証明にはならないという点、まだ、救いがある。
本当の気持ちは言葉では伝わらない
実際、世の中には正直に自分の気持ちを表現できない、複雑な人もいる。
そういう人は冷たい人じゃない。ただ不器用なだけだ。関わりにくいその姿からは想像できないほど、素の姿は愛情に満ちている。
すぐに溶けてしまう軽薄な言葉に惑わされず、本当の大きな思いを感じ取る。そんな人に愛される人は、とても幸せな人だ。
もし人生でそんな人に出会えたら。恋ができたら。それだけでその人生は、生きる価値があることに気づくことができる、素晴らしい体験になるだろう。
最後に
大切なのは想いの強さ。
人生で誰かを愛する機会が与えられたときは、自分にウソをついてはいけない。しかし想いが強ければ強いほど、それを素直に伝えられなくなってしまう。
それでも勇気を持ってほんの少しでも前に進めたら。未来は変わる。きっと変わる。だから勇気を出そう。最高の愛を、つかむために。
出典
『はるか、ノスタルジィ』