「本物」の愛と「偽物」の愛の決定的な違い

手を握り合う男女

愛とは共に生きようとする姿勢である。

加藤諦三

人は誰かを「好き」になる。

そのなかには本物の愛とそうでない愛がある。それは、相手の言動を見ていれば分かる。

収入が少ない夫をなじる女。

妻の行動を口うるさく注意する男。

「お前のためだから」とやたら干渉してくる友人。

彼らの特徴は、相手のことを案じているからあれこれと干渉するのではなく、相手を自分の「思い通り」にしたいから、口を挟んでくるのだ。

本物の愛は「無条件」だ

このような「見せかけの愛」はそこら中にある。そして、多くの人が、見せかけの愛情に愛という虚像を見出している。

「○○してくれたら私は嬉しい」

「△△しないあなたは嫌だ」

愛情を盾に、人を自分が思うとおりに動かそうとしているのだ。

本当に愛情がある人は、相手を支配したり、コントロールしようとはしない。

夫の収入が少なければ、「私も働こうか」と妻は申し出る。妻を愛している男は、あれこれ妻の行動に口を挟まない。本当の友人は、友人の嫌がることはしない。

愛のある人の行動はシンプルだ。人の嫌がることをせず、あるがままのその人と、自然に生きていこうとする。

本物の愛とは、何があっても決して変わらない愛である

ここにある女がいる。

彼女は障害を持つ芸術家の妻だ。収入が不安定で、体の障害に苦しむ夫とともに生き、彼を静かに支えている。

収入のことでアレコレ愚痴は言わないし、男が不安定なときでも、一歩距離を置いて見守っている。

男のあるがままの姿を受け入れ、ともに生きていこうとしている。相手に何かを希望したり、条件を付けることもない。

このような本当の愛情を持つ人と過ごせる人は、この世のどんな宝を持つ人よりも、幸せで豊かな人なのだ。

そしてこの世に本当の愛が存在するならば、この無条件の愛こそが、まさにホンモノの愛である。

一方で偽物の愛は、常に何かを要求する。自分は変わらずに、相手に変わってもらうことだけを期待する。

ここに本物と偽物、決定的な違いがある。

最後に

愛とは「私はこの人のそばにいたい」という、シンプルな感情である。

だから自分の思う通りに変わることを求めることはないし、あれをしろこれをしろなど、とやかく要求することはない。

なぜならただともにあるがまま生きていくこと。それこそが愛の本質そのものだからである。だから愛がある人は求めない。期待もしない。当然、変わることも期待しない。

すなわち愛とは無条件。偽物の愛が溢れているこの世界だからこそ、本物はより一層、深い輝きを放つのである。

出典

『親離れできれば生きることは楽になる』(PHP文庫、1996年)

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