人生は最終的に、何が起ころうとも最終的に大丈夫である。どん底を迎えようが、一時的にすべてを失おうが、それらの出来事はあくまで人生という劇における一コマにすぎない。
すべての状況は変わりゆく。だからこそどん底はどん底として存分に味わえばいい。逆境は逆境として必要なことを学べばいい。状況はやがて上向き、「生きていて良かった!」という喜びのときが訪れる。
ただしそうなるためには一つ、重要な条件がある。それはどんな状況に陥っても投げやりにならないこと。すなわち自分の人生を見捨てないことである。この記事ではその理由について、お伝えする。
はじめに
人生を「OK」にするか「OKでない」にするかは自分次第である。なぜか。その人生において起こったことの意味付けをし、それに反応できる唯一の人物が自分だからである。
そしてその「意味づけ」によって私たちは、人生を「喜劇」にすることもできるし、「悲劇」にすることもできる。結局のところすべては、「起こった出来事をどのように受け取るか?」によって決まるのである。
例えば人生で目の前が真っ暗になるような状況に追い込まれたとき。すべてを失いどん底に落ちたとき。「もう、私の人生はおしまいです」とあきらめてしまうことは難しくない。
だがそうした状況のなかさえ、「今は、私の人生の転換点なのだ」と受け止めることはできる。そうしてそれをする人は傍目から見れば「オワコン」状況だったとしても、「逆転」し、「復活」していく。それはそうなるべくしてなる結果である。
人生の幸不幸を決定する重要な要素
不思議なことだが、傍目からどれだけ恵まれていようとも、何かしらの「不満」や「問題点」を見出し、「私の人生はベリーハードです」と主張する人がいる。
その一方、どこからどう見ても「あなたは本当に、人生のチャレンジャーなのですね」としか思えない人生を送っているにも関わらず、なぜか常にその周囲は光が差し、逆境を見事にはねのけて「めでたしめでたし」を迎える人がいる。
こうした不思議な事象を考察することで一つ、分かることがある。それは明らかな「傾向」と言っていい。それはズバリ、本人の物事に対する受け止め方、すなわち人生に対する態度である。
人生に対して常に不満を抱え、問題だけを見続ける人(問題を解決しようと意識を向けるのではなく問題だけに意識を向け続ける人)は「結果として」状況を自ら更に悪くしていく。
その一方、どんな悪条件があろうとも「この出来事は自分にとって必要な経験である。だから何があろうとも大丈夫である」と信じ、受け止める。
そのシンプルな態度の違いこそが、その後の運命を文字通り「分かつ」。それはまさに、起こった出来事や状況をどのように意味づけるのかの違いである。そして、人生で起こったことや状況を受け止める、態度の違いである。
お金を持っているとか、学歴があるとか、人脈や名声があるとか、そんな「諸条件」は一切関係ない。
ここに、どれだけ恵まれようとも永遠に満足できない人がいる理由、そしてどれだけ悪条件に陥ろうとも最終的に人生が「めでたしめでたし」になる人がいる根本の理由がある。
無意識で「考えていること」「感じていること」は現実として再現される
なぜ受け止め方によって結果が変わるのか?その理由を理解する上で重要なキーワードがある。それが「潜在意識」である。
潜在意識とは普段私たち自身が意識として認識はしてはいないが、私たちの意思決定や行動に重要な影響を及ぼす無自覚的な意識を指す。
私たちは普段それを意識することはない。だが私たちの意識の裏側で、私たちの行動、そして人生に影響を及ぼす、重要な働きをしている。「考えたことが現実になる」という事象の裏側にはまさしく、潜在意識が働いている。
例えば、「私は◯◯の仕事で失敗するだろう」と日常的に考えている人は実際に「◯◯の仕事で失敗する」。なぜなら潜在意識が「失敗する」ように働き、その結果「(自分自身が意識しないまま)失敗するように動いてしまうから」である。
だが逆に、いかに社会的状況や自身の能力などに起因する「条件」が不利だったとしても、「私は◯◯する、◯◯できるのだから」と考え、信じることによって「◯◯ができる」ようになる。それは「◯◯できる」という思考が潜在意識へ刷り込まれた結果である。
潜在意識の働きに社会的根拠や要因といった、外部的な要因は重要ではない。重要なのは私たち自身の感じ方、受け止め方、そして考え方である。それらが文字通り、私たちの行動、そして結果に左右する。
だからこそ人生における私たち自身の態度は、まさに私たち自身の運命を決定する重要な原因である。
すなわち人生で投げやりな態度を取ればそれが潜在意識に刷り込まれ、投げやりな現実が再現される。だが、自分の人生をあきらめずになんとかなると信じる。すると実際に、なんとかなるという現実が再現されるのである。
最後に
あるところに兄と弟、2人の兄弟がいた。
兄は「俺の人生は、何があってもうまくいくんだ。だって俺は、俺の人生を信頼しているから」と自分の未来を何の根拠もなく信じた。一方、弟の方は「どうせ、俺は兄貴とは違う」と物事に対してシニカルで、否定的な態度が目立つ。
その結果、兄の人生は不思議なほど順風満帆である。資産家の娘を妻として2人の娘を授かり、節税のために定期的に国産の高級車を購入したり、リゾートマンションを複数所有するなど、経済的にも精神的にも豊かで自由な人生を謳歌している。
その一方、弟は兄と同じ能力、同じ条件どころかむしろ能力も学歴も、条件的には兄よりもむしろ客観的に恵まれているにも関わらず、具体的な内容は差し控えるが、その人生は「ベリーハード」という表現以外に考えられないような人生を送っているように見える。
同じ親のもとに生まれ、同じ環境で育った兄弟だろうがその運命は違う。だが、あまりにも違いすぎる。
その原因となっているものが何なのか、その疑問から私たちが学ぶことができることは明快である。それは私たち自分自身の態度である。人生起こることへのそれぞれの反応なのである。
人生でどんな人にも試練や逆風、困難は起こる。だがそれらは原因として私たちを追い詰めるわけではない。私たちを本当の意味で追い詰めてしまうもの。それは起こったことに対する、私たち自身の態度である。
私たちは、「おかしいことはおかしい」と声を上げることができる。どんな逆境のなかでさえ、「今は確かに最悪だ。だがこれからはきっと良くなる。きっと良くしてみせる!」と希望を持つことができる。
それは、私たち自身の選択なのだから。