大人は子どもの先回りをして失敗を回避させるようなことをしてはいけません。子どもが失敗を経験することには、大事な意味があるからです。
堀田はるな
人生において避けてはならないことの一つ。それは失敗や挫折といった、苦しみを味わうことである。
人が真に学びを必要とするときは必ず、痛みをともなう。痛みをともなわないことは大した学びにならない。したがって、たいした経験にもならない。
だから、無痛な人生は平和で安心できるかもしれないが、いつかそのツケが、大きくなって返ってくる。この意味で、転んでつまづいたときは常に、こう考えるといい。自分は少しづつ、強くなっているのだ、と。
はじめに
大切なのは問題が起こることではない。失敗を避けることではない。問題が起こったとき。失敗を経験をしたとき。そこからどのようにリカバリーをするか。そこが肝心である。
それは人間力が鍛えられる試練であり、人生を生き抜くための強さを手に入れるための経験である。つまり人生は、痛みなくして成長なし。転ぶことは仕方ない。むしろ、転ぶのを避けようとしてはいけない。
人生で必要なだけ転び、必要なだけ傷ついておけば、そのことをいつか、感謝できる日々がやって来る。だから人生は不思議なのだ。
「自分の限界設定」ができる意味
人生でもしも、「致命的」な失敗があるとしたら一つ確かなことがある。それは失敗や挫折、困難を経験しないまま、大人になってしまうことである。
何をやってもうまくいく。したいことはなんでもでき、欲しいものは必ず与えられる。周囲の大人が転ばないように全てをお膳立ててくれる。
このような環境で育つとどうなるか?育まれるのは不健全な万能感である。それはいわば自分自身の限界を設定できないという、欠点である。
人は限界がある。限界があるからこそ謙虚になる。自分だけではない、人の痛みや苦しみを理解することができる。そして周りの人と共存し、社会のルールを遵守し、生きていくことを学ぶ。
この意味で失敗や挫折を経験できずに大人になってしまうということは、それは決して幸運なことではないのである。
失敗や挫折によって得られる最も重要な効能
私たちが何かを最も着実に学べる瞬間。それは「痛み」を感じたときである。それは自らの「身を持って」学んだことだからである。何より重要なことは、その「痛み」はやがて「癒える」ことが分かることである。
失敗も挫折も、それは乗り越えることができる。それには一つ、重要な効能がある。「人生における不安や恐れへの耐性」の獲得である。
なぜ失敗を恐れるのか?挫折を避けるのか?失敗や挫折の背後には必ず、「恐れ」という感情が隠れている。私たちは意識するしないに関わらず、「恐れ」によって人生を動かされている。
だが、失敗をしても大丈夫。挫折をしても大丈夫。そのことを学ぶことができたなら、「人生何があろうと関係ないのだ」という真実に目覚めることができる。するともはや、恐れによって人生を動かされることはない。これはとても、素晴らしいことである。
最後に
失敗や挫折によって「人生オワコン」になるとすれば、それは当人がその失敗や挫折を「致命的」と受け入れたことによる結果である。
結局のところ、どんな致命的に思える失敗や挫折でさえ、乗り越えることができる人はいる。彼らは決めている。「自分の人生は何があろうと何とかなる」と。そして、「この経験は自分の人生がより素晴らしいものになるための、経験である」と知っている。
この考え方は完全に正しい。社会的な常識がどうであろうと、誰が何と言おうと、自分の人生をカムバックさせるのは他ならぬ自分である。どんな失敗も挫折も、そこで味わう全ての痛みこそがやがて、まさに自分自身を成長させてくれるのだから。
出典
『モンテッソーリ・メソッド』