挫折のない男はつまらない、という。だが、考えてみれば、挫折のない人生というものはあり得ない。挫折を知らないということがひとつの挫折でもある。
その意味では、世の成功者といわれている人たちにも、人生は公平に挫折や不幸を配分しているはずである。
城山三郎
人生は思い通りにならないことの連続。
何かを欲しても手に入らず、愛されたい人に愛されず、なりたい自分になることができない。そこから現実を見つめ、真に自分らしい人生に目覚めていく。
マイナスは公平に配分される
一方、世の中には、うまれながらあらゆる面で好条件に恵まれて、なぜかやることなすことうまくいく挫折知らずの人がいる。
我々は一見、彼らのことを運がいい恵まれた人と考えて、羨望と嫉妬の対象にする。
ところが本当に彼らが幸運な人なのか。それは人生長い目で見れば、その真実を理解することができる。
すなわち、人生うまくいき過ぎている人生が必ずしも成功とは言えないということを。
挫折知らずはむしろ不運
人生大切なのは、最後の最後でめでたしめでたしになることである。
10代20代30代40代、様々な不幸や不運、挫折を経験して、生きることの苦しさを味わい尽くしたとしても。
50代60代70代。人生の終盤に状況が変わり、「自分の人生はこれで良かったんだ」と納得できる人生ならば。人生前半の挫折は経験するだけの価値を持つ。
すなわち、人生の前半生で、苦しみを味わい尽くしたからこそ人生の後半生にその意味を実感することができる。
挫折知らずの人生は後半生が怖い
一方、人生の前半生はまさに昇り竜。
イケイケドンドンでやることなすことうまくいってきた挫折知らずの人は、致命的な欠陥を抱えながら生きていかなければいけない。
すなわち、挫折の痛みを知らず、苦しみへの耐性がつかないがゆえに、今後いかなる小さな失敗ですら、致命傷になり得るという欠陥である。
これは正直、とても怖い話である。
そして、実際世の中のニュースをチェックすれば、人生の晩年、小さな失敗によって人生が台無しになって人たちの存在を知ることができる。
最後に
人生が順調であるということ。それは必ずしも幸運を意味しない。そして同時に、人生が不順であるということ。それは必ずしも不運を意味しない。
人生何もかもうまくいかないこと続きは正直つらいが、人生何もかもうまくいきすぎるよりもずっと、幸運なことかもしれない。
いずれにせよ大切なのは、人生は適度に、失敗し、痛い目を見ておいたほうがいい、ということである。
失敗によって強く、賢くなれる。だから人生を長い目で考えて、たくましく生きていくことができる。だから人生は適度に失敗していい。
それは必要なことなのだから。
出典
『静かに健やかに遠くまで』