苦悩は業績であり、成長です。しかしまた苦悩は成熟でもあります。というのも、自分を超えて成長していく人は、自分自身へと成熟していくからです。
そうです。苦悩の本来の業績とは、成熟の過程にほかならないのです。
V・E・フランクル
苦しみのなかにいるとき、「苦しみが人としての成長をもたらす」と言われても、何の気休めにもならない。
いくら考えても、苦しいだけで、理不尽なことはたくさんある。そういうとき、自分の身に降り掛かった不運を嘆くほかない。しかし、それでいいのだ。
苦しいからこそ見える奇跡
苦しいときの思い、苦しいときに考えたこと、それがあるとき、ふとそれが自分の変化へとつながっていたことに気がつくときがある。
ありきたりな言葉だが、「あのときの苦しみがあったからこそ、今がある」と確信できるときが来る。
そのときは5年後か10年後か20年後か、いつになるかは分からない。人それぞれだろう。
しかし、人生をあきらめず、自分をあきらめずにいれば、分かるときはくる。苦しいときは、ただその苦しみを、苦しむことに意味がある。
耐えた先に「逆転」がある!
だから、苦しいときは耐える。ただひたすら耐える。
逆境のときはそれしかできないかもしれないが、その忍耐は決してムダにはならない。人生の無駄ではない。
なぜなら必要なことに気づき、必要なことを学んだあとにその困難には意味があること。人生をよりよくするために起こっていること。
つまり苦しみとは成熟の過程であること。人間として一皮向けるために避けられないものであること。逆境を乗り越えたあとはまさに、その事実に気づくことができる。
逆境は苦しい。しかしそれでも、逆境を経験するだけの意味は、確かにそこに、あるのである。
最後に
人生で逆境を経験する意味。それはすべて、成長のためである。苦しみのないところ、真の意味での成長は期待できない。
だから人生の必要な段階で、必要な逆境がやって来るのは、それこそがまさに、人生の仕組みそのものである。
苦しみを乗り越えて人として成長し、成熟していく。だからこそ苦悩は、人生における輝かしい業績なのである。
出典
『苦悩する人間』