夜が明ければ朝が訪れる。目の前に困難があったとしてもその先には

こんにちは

大きな内的進歩がなされる前には、つねに絶望への誘惑が先立ち、大きな苦難が訪れる前には、非常な内的喜びと力の感じが与えられるものだ。

私はすばらしい成功をおさめる前ほど不幸だったことはなく、また最も困難な出来事に出会う前ほど、喜ばしい、力づよい気分に満たされたことはなかった。

ヒルティ

人生は良い意味でも悪い意味でも、いつどこで、何が起こるはわからない。

状況が芳しくないとき、私たちはつねにその先に絶望を予想してしまうのは仕方がないことかもしれないが、物事はその見た目とは裏腹に、急転直下、変わりうる。

特に、状況が劇的に好転しうる段階に差し掛かったときほど、目の前の現実は、その先に訪れる逆転とは別の姿を見せることがしばしばある。だからこそ大切なのは目の前の状況にごまかされず、希望を心に持ち続けることである。

それはきっと良いことに変わる。今目の前に暗闇が広がっているからこそ、その先にかすかに見える、明るい光を見出すのだ。

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はじめに

飛躍の前には挫折が、繁栄の前には没落が。幸福の前に不幸が。物事には起承転結、「こうなったら次はこうなります」というような、不思議なサイクルがある。

ただ一つ、我々一般人でもかんたんに理解できるシンプルな原則がある。それは「良くなれば悪くなり、悪くなれば良くなっていく」という原則である。

人生に永遠に続く成長、成功、繁栄はない。そして永遠に続く衰退、失敗、そして没落もない。成長と衰退、成功と失敗、繁栄と没落、これらは2つで1つ。それぞれが交互に循環している。

逆境に立たされたときにこそ真実を思い返す

絶望を感じたとき、あとすぐそこに希望がある。自分の限界を感じ、未来に失望したその先に実は、大きな可能性がある。

私たちはとかく、目の前の「現象」にだまされ、真実を見誤る。それはナポレオン・ヒルがその著書『悪魔を出し抜け!』で語っているとおりである。

悪魔とは比喩である。その存在の有無は重要ではない。ここで認識すべきことは、私たちが目の前の現象(否定的な影響)によって流され真実を見失い、自らが目指すべき道より遠ざかってしまう傾向があるということである。

だからこそ重要なこと。それは目の前の現象ではなく、物事のサイクルを理解した上で、今起こっている現象の先にある真実に目を向けることである。

進歩の前に絶望が先立つ

夜が流れければ長いほど。その先には輝かしい朝がやがて訪れる。今失望を味わえば味わうほど、それはこの先に訪れる感動を、存分に味わうことができる。

「もうだめだ・・・」という苦悩を味わう。その現象は今の現実かもしれない。だがそれは真実ではない。今、長い夜の中にいたしても。その先に待っている未来は朗報である。

そして夜が暗ければ暗いほど、その先に訪れる朝の光は輝かしい。ゆえに「大きな内的進歩がなされる前には、つねに絶望への誘惑が先立ち」、そして「大きな苦難が訪れる前には、非常な内的喜びと力の感じが与えられる」のは、決して偶然ではない。

最後に

良くなる前に悪くなる。そして悪くなればやがて良くなる。生きることはいろんなことがありすぎる。だが大切なことはただ一つ。どんな時でさえそれはやがて終わり、再び新しい時が訪れる。それは循環の仕組みである。

暗い夜のあとには必ず明るい朝が訪れる。どんな日も必ず終わりを告げ、新しい一日が訪れ、そして太陽が輝く。たとえどれほどの長い暗い夜を過ごそうとも、再びまた、明るい朝が訪れることを信じて、夜を過ごす。

長い夜が続いているときこそ。「夜明けはすぐそこまで来ている」という真実に目を向けるのだ。

出典

『眠れるぬ夜のために(第一部)』