「最近ツイてない」
「イヤなことが重なる・・・」
「今日もミス。もうダメだ・・・」
そんなときに知っておきたいこと。
ツイてないときをいかに乗り切るか
月曜日の朝。
朝起きたら頭痛。「出社しなきゃ・・・」と何とか支度。最寄りの駅へ。しかし、電車が遅延。会社に遅刻しそうになる。
火曜日の夕方。
犬の散歩で出かけたら道路を猛スピードで走る車が。「危ない!」と思ったら車がこちらの前に止まり、運転手から「どけ!バカ!」という暴言を受ける。
木曜日。
仕事の終わり、久々昔の友人と飲みに行く。楽しい時間を過ごしたのち帰宅する。グッスリ眠ろうとしたら体から急激な悪寒と震え。
金曜日。
高熱を出し1日寝こむ。土曜日になっても熱が止まらず1日布団の中。
日曜日。
熱は下がったと思ったら、今度はお腹を下す。何も食べられない・・・。
人生には、なぜかこのように悪いことが続くときがある。「運が悪い」としかいいようのない、ツイてない時期があって、そういうときは、ことさら自分の不運を嘆きたくなる。
栄枯盛衰、万物流転、昔の偉い人はいろいろなことを言ったが、状況は絶えず変わっている。
何もない穏やかな平和な時期や、いろいろな人生の転機が訪れる不安定な時期。やることなすこと上手くいかないツイてない時期。人生の運気は、春夏秋冬のように、絶え間なく変化している。
底にいるときにこそ
人生の「底」、運の悪いときというのは、本当にしんどいものだ。それは、その時期を経験しているものにしか分からない経験だ。
もしも、
「今月は全然ダメだ・・・」
「何をやっても裏目にでる・・・」
という時期にいるときには、次のことを覚えておくといい。
あなたは歯医者にいる。
これから虫歯を削るために治療のイスに座っている。そこに歯医者さんが、歯を削る工具を持って、あなたのヨコに座る。すると、工具は「キュイ―ン」という甲高い電子音を上げて、あなたの口に近づいてくる。
しばらくすると、歯に工具が当たる感触がし、歯がガリガリ削られていく。そのときはとても不快で、「はやく終わってくれ・・・」と祈るばかりだ。イヤな気持ちはするが、辛い時間はやがて過ぎ去る。それだけは確かだ。
運の悪いときというのもこの歯医者の治療と同じようなもの。やがては終わる。
辛い時というのは、その辛い時間が、いつまでも永遠に続くかのように思えてしまうが、刻一刻、時間は過ぎ去り変化し続けている。
「物事は変化する」ということを忘れずにいれば、日付、年月が変わるとともに、状況が変わっていくことに気がつく。
「最近はどうもおかしい」
「何をやっても上手くいかない」
「オレはダメなのか・・・」
と思うくらい大変なときは、この歯医者の話を思い出してみるといいかもしれない。
今、あなたの歯はガリガリ削られていて、とてもイヤな思いがしているかもしれない。しかし、それはやがて終わるのだ。
困ったことは起こらない
それともう1つ知っておきたいのは、運が悪い時期が続いたあとは必ず運が好転する、という朗報だ。
不運のあとには幸運があり、幸運のあとには不運がある。このように運は循環し、絶えず流れていく。
この意味で、不運のときというのはある意味チャンスである。そこにこそ、幸運の芽となるヒントを見つけることができるからだ。
だから、悪運が過ぎ去るのをじっと待っているのもいいが、ツイてない体験を無駄にしないために、じっと状況を見つめてみよう。
今自分は何ができるのか。ここから何に気づく必要があるのか。そうすれば綺麗事抜きに、不運はまさに幸運につながっていることが実感できる。
この意味で人生、本当に困ったことは起こらない。むしろ、起こる必要があるからこそ起こっている。そのことに気づくことができるだろう。
最後に
ツイてないとき。悪いことが続くとき。このときはやはり不幸な気持ちがする。人生が楽しくない。それは仕方がない。
しかし幸い、どんな不運も必ず終わる。そして、不運のなかにこそ実は、人生が飛躍し幸福になるためのヒントが隠されている。この意味で、不運は決してあなたを痛めつけるためだけのものではない。
ツイてない状況から必要な気づきを得ることこそがまさに、不運を味わう意味であり、存在理由である。それに気づけば、ツキはまた巡ってくる。
不運のときは、腐らず焦らず自分ができることを続けていけばいい。必要なことに気づいて、前へ進めばいい。そして気がつけば状況は変わっている。
運とはそういうものである。