ユングは「人生は個性化のプロセスだ」と言っているが、私も彼の考え方に賛同している。
「個性化のプロセス」とは、私達が地上に産み落とされたときひとりひとりに「問い」が与えられ、それに対する「答え」を見つけていくということだ。
エレイン・N・アーロン
生きる目的、そんな大げさなことを考えなくても、人はそれぞれ「何か」を背負っている。
それは家族から与えられた「業」のようなものであったり、劣等感であったり、社会的な使命であったり、様々なものだ。
自分が過ごした環境、生まれつき持っているもの、これらが、人の生き方に大きな影響を与える道標になることは珍しくない。
適応できない環境で自分を適応させる試み
ここに一人の青年がいるとする。
彼は生まれつき体が弱く、少しの運動でも疲れてしまう。刺激に弱く、賑やかなところ、人の多いところにいると、すぐに疲れてしまい、体が持たない。
そんな状態なので、毎日10時間も労働する一般のサラリーマンは勤まらない。人のたくさんいる場所で、刺激にさらされながらの生活は、この青年の本性的に不可能な生活である。
彼は一般の競争社会では生きていけない。競争に勝てなくて、アリのように踏み潰されてしまう。そのことは彼自身が、痛いほどよく分かっている。
「自分を受け入れる」ということ
では、彼はどうやって生きていけばいいか?
青年は考える。生きていくにはお金がいる。仕事がいる。住む場所がいる。これらの現実的な問題が、彼の前に立ちはだかる。
しかし、何とか現実と折り合いをつけ、自分のできる仕事を探していみる。幾多の挫折の末、自分のできるととできないことを、はっきり区別できるようになっていく。
そして彼は、最後に自分が生きていく場所を発見し、自分らしい生き方を見つける。こうして、一つのめでたしめでたしを迎える。
生きていくなかで見えてくること
障害や困難が、自分の道を見つけるきっかけや、天職へと続く道へつながる。
何らかの困難や苦しみに向かううちに、自分の中に疑問が芽生える。その答えを見つけるうちに、自分の道へと続いていく。人生はこのような不思議なことがある。
つまり、「どのように生きればいいか?」という疑問に対する答えを、自分なりに追い求めていくことそれ自体が、生きる意味そのものなのである。
人生を生き、悩む。苦しむ。そして気づく。「そうか、自分が生きる道は、ここにあるのだ」と。
答えは必ず見つけることができる
人生は最初から、「あなたの人生の答えはこうです!」というような直球の答えを教えてくれはしない。
しかし、人生で経験する様々な疑問とそれに対する探求を通じ、「コレだ!」という人生観を身につけていく。
そのなかで「これが自分の生き方かもしれない」という答えを見出していく。それこそが人生である。
「あなたの人生は○○ですよ」というように、誰かのお墨付きを得られれば、安心できるかもしれないが、その答えは自分で見つけるしかない。
それは自分に与えられた「問い」に答えようとする過程で見つかるものだからだ。
最後に
自分の生まれ、環境、持っているものを探し、自分が経験してきたことを振り返ってみる。
すると、ある一定のテーマが繰り返し人生の中で表現されていることに気がつく。そのテーマこそ、自分というの人生の物語であり、生きる意味なのだ。
それに気づくことは難しいことではない。ただ、人生で「与えられた問い」に答えていくだけでいい。それこそがまさに自分の人生。生きる意味なのである。
参考文献
ヴィクトール・フランクル『それでも人生にイエスと言う』
諸富祥彦『人生に意味はあるか』