「なるようになった人生」にこそ生きる価値がある。それは本当の意味で

計画を練る

18歳でXXX大学に入学。22歳で大学を卒業してXXX会社に就職。25歳で結婚して、27歳には親になる。30歳で家を買い、子供も順調に育つ。60歳で退職して引退。人生めでたしめでたし。

人生そんなふうに「予定通り」自分の思い通りに進めば最高だ。

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「想定外」には抗えない!

しかし、人生は想定外の連続である。

「絶対採用されると思っていた会社からまさかの不採用。新卒カードを失ってしまった・・・」

「10年勤めた会社が倒産してしまった。絶対安心な会社だと思っていたのに・・・」

人生ではこんな「まさか」がやってくる。それは完全に想定外であり、決して予想もしなかったことだ。

「まさか」の出来事は本当に突然やってくる。それに対して、いくら準備をしても、到底準備しきれるものではない。

いくら石橋を慎重に叩く人でも、この人生の不可抗力にあがらうことは難しい。では問題は、「それに対してどう対応するか?」ということだ。

つまり、人生はそもそも想定外のことが起こるのだから、それはそういうもの。結局私たちが問われているのは、「起こったこと」に対応していくことである。

目標はゆるーく持つ

○歳頃には人生はこうなっていて、こういうことを実現している。

日々目標を立てて頑張って前に進んでいく。人生を自分でデザインし形作る。それはそれで素晴らしいことだ。

目標はないよりあった方がいいし、ただ流されて生きていくよりも、何らかの意図を持った方が、人生が充実するのも確かだ。

しかし、「人生こうあるべき」という目標にとらわれすぎると、突然やってくる「まさか」の出来事によって泡を吹くハメになる。

そうなると、頑張るのがアホらしくなってしまい、心がぽっきり折れてしまう。目標に向かって頑張ってきたからこそ、一度折れると脆いのだ。

だから、「人生はこうである!こうなるべきだ!これを成し遂げよう!」と気合を入れすぎる必要はない。「○○を実現できればいい」くらい、ゆるーい姿勢の方が、案外上手くいく。

自分に固執せず変化に対応する

結局、人生は変化の連続だ。決して予定調和では終わらない。

人生の変化を止めることは難しく、だからこそ「想定外」のことで悩むハメになる。もしそうであるなら、変化に対応する術は一つ。柔軟性で対処することだ。

人生は思い通りにならない。思った通りにならない。都合よくいかない。それを前提に考え、起こったことをその時々、最も最善な形で善処する。

それはベストでなくてもいい。そのときできる限りの最善の対応であればそれでいい。そのときできることをする。やれることをする。ベストチョイスでなくても問題ない。

大切なのは、変化に対して自分で行動を起こしていくことだ。

それはきっと、自分が思っていたカタチとは違うことだろう。もしかしたら納得できないことも多いかもしれない。「こんなはずでは・・・」と悔しいだろう。

でも起こってしまったことはどうしようもない。

目の前で起こった現実を見据えて、今できる限りの、最善の行動を起こすのみだ。今までの自分に固執せず、柔軟に動くのだ。

最後に

もしも人生、自分が思った通りのことが、思ったとおりのカタチでやってきたら、本当に人生は楽だと思う。

何もかも予定調和で、努力して希望が叶い、めでたしめでたしになるなら、人生で悩む必要はない。

ところが現実問題、ほんとうに人生は想定外の連続だ。

「え、ほんとうに・・・?」

ということは実際問題、やって来る。

それはピンチだったり青天の霹靂だったり、何にせよ、人生は波風が立つものであることを実感させられる。

そうなったらもう仕方ない。泣いても後悔しても仕方ないのだ。柔軟に立ち回り、それらを乗り越えていけば、いつかまた晴天の日がやって来る。

そして、思い通りにならない人生だからこそ意味がある。そういうものだと思って、何とか柔軟にやっていく。

結局人生はなるようになる。でも、「なるようになった人生」を生きることこそが、人生における重要な何かかもしれないのだから。