生きる目的を見つけたいという欲求

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人生について考える

なぜ生きるのか。

私たちは生きる目的を必要としている。

「私の人生はこのためにあった」

人生どんなことがあっても、それに理由があれば耐えられる。どんな理不尽なことも、理由をつけることによって、耐えることができる。

「生きることに何か意味、目的がある」と信じるからこそ、私たちは希望を持って、生きていくことができる。

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生きる目的が必要な理由

でももし、人生で起こることには実は何も意味がなかったとしたらどうだろう?

失業や失恋、親しい人との別れ。

人生にはいろんな挫折があるが、それらの出来事に意味を見出すことによって、私たちはその苦しさを我慢することができる。

しかし、人生に意味はなく、起こることには何の意味もないとしたら、生きることそれ自体、えらく殺伐とした、無味乾燥なものになり果ててしまう。

だから、私たちが自分の人生に意味付けをして、生きる目的を探すことは、ある意味とても合理的なことなのかもしれない。

理由もなく、ただ自分がこの世に存在している。それはある意味、とても恐ろしいことだ。

目指すものがなく、ただ漠然と日々を過ごす。そんな人生が一生続いていくことを想像してみるといいかもしれない。それはただただ、苦痛である。

だから、人生に何かの意味は欲しい。生きる目的はないよりあった方がいい。

どうやって生きる目的を探すか

ではどうやって生きる目的を探せばいいか?

まぁ、「それが分かれば苦労しないよ」という話になってしまうが、たしかに生きる目的を探すのは難しい。

というのは、それは探して見つかるのではなく、人生のある段階、突如として気がつくものだからだ。

人生でいろんな経験をしているとふと、「あぁそうか、俺の人生はこのためにあったんだ」と思えるようなことが起こる。

今までの自分の人生で起こったバラバラの出来事が、実はそれぞれ意味があることが分かってくる。ある一定の傾向を帯びていることが分かる。

それに気がつくことで、生きる目的、人生の意味に連鎖的に気がつく。そんなイメージだ。

だから、生きる目的は「見つける」というよりも、「気がつく」ものだと思う。探しているときは見つからず、思いがけぬときに、ふと気がつく。

そういうもののように思う。

目的は無理やり探さない

だから大切なのは、「無理やり生きる目的なんか探さなくていい」ということだと思う。

生きる目的を探すことに焦ってしまうと、それを歪んだ形で見つけようとする。無理に探そうとしても、ろくなものが見つからない。

それより、今現在の1日1日を、もっと充実させるにはどうすればいいか、目の前のことにこだわるほうが大切だ。

今という時間は今だけであって、それが積み重なっていくことが人生全体となる。

ということは、今を大切にして今を充実させていれば、自然と人生の方向性が見えてくるし、「これが自分にとって大切なんだ」ということが見えてくる。

そういう積み重ねをしておくことが結局は、生きる目的へとつながっていく。

何もしたくないときはベッドに横たわって自分の人生を振り返ってみる。頭に浮かぶいろんな考えを突き詰めてみる。本を読むのもいい。

したいことがあれば結果を気にせずどんどんやる。今という時間に向き合う。探すことを忘れていれば、必要なタイミングで、探していたことが見つかる。

焦らず急がず、じっくりいこう。