「人生でやりたいことリスト」を作る意味とその目的

紙に書く女性

「私は若い」と自覚しているときに気づくことができないこと。それは「人生は有限である」という事実である。

誰一人として永遠にこの世界に滞在することはできない。今できることでさえ、明日それができるとは限らない。年齢を重ねるにつれ少しずつ、その事実に気づき始める。

誤解のないように書いておくが、それは決して悪い意味ではない。いつかそれができなくなるからこそ、今それをやる意味がある。できることに限りがあるからこそそれらは充実し、人生に意味をもたらすのだから。

だが、「人生には限りがある」という認識を持たないまま日々に流されていけば、「思っていたのとは違う現実」を目の前にして、過去を悔やむ日々が訪れる。

だからこそ「私は人生に◯◯を期待します」「私は◯◯をしたいです」という自覚を持つことはとても大切である。期待はその現実を引き寄せる力となる。そこで重要となるのが、「人生でやりたいことリスト」を作ることである。

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はじめに

ペンと紙を用意して自分が人生でやりたいことを書いていく。それはいわば、「自分が考えていること」を「文字」にし、自分自身で「確認」するためのプロセスである。

考えていることを紙に書き出すことによって、

「私はこのように考えていたのか」

「私にはこのような価値観や願望があったのか」

など、自分が考えていたことに気づくことができる。

これはとても大切なことである。私たちの人生の行く末に大きく左右するもの。それが私たち自身の「考えること」だからである。

自分自身で自分が進む道を考えなければ、誰かに人生を振り回される。だが、自分自身が人生に望むことをハッキリと自覚することによって、人生に望むことが実現されうる道が用意される。

その結果、自分の人生のレールを自分で敷くか?それとも他人が敷いたレールを自分自身で気づくことなく進んでいくか?その違いこそが最終的に「納得」もしくは「後悔」という結末に分岐する。

「やるべきことをやる」という選択

人がこの世界を去る前に最も後悔すること。それは「失敗したこと」ではなく、「しなかったこと」である。

「私は◯◯がしたくて挑戦しました。その結果失敗してしまいました」という後悔ではなく、「私は実は◯◯がしたかったのです。ですが、それをしないまま今日まで来てしまいました。もし、それをしていたら私の人生は・・・」という後悔である。

たとえ結果がどうであれ、自分自身が選び決断し、行動した事柄に対して人は後悔を残さない。いつでもどんなときでも、心にこびりついて離れないような状況に陥る原因は明確である。

したいと思っていたのにしない。「いつかできる」と思い先に伸ばした結果、気がつけばそれをする機会はもはやない。こうした「悲劇」は人生のテンプレと言えるほど、ありふれている。

逆に言えば、結果がどうであれ、自分が人生で何を求めているのか?何をしたいと思っているのか?その自覚を持ち行動に移せば、それは人生の経験となり、長い目で見ればその結果に興味はなくなる。

むしろ残るのは、「私は自分がやるべきことをやりました」という納得感である。

知る、そして道が見つかる

知ることはすべての始まりである。問題は、それができるかできないかという話ではない。自分自身が人生で望むことを知ること。「したい」「ほしい」と思うことを「考える」こと。重要な本質はここにある。

自分が「認識できない」ものは「存在しない」のと同じである。だが、考えることによってそれは存在し始める。「これはできないだろう」と先入観によって考えていたことがなぜか気がついたときにできるようになっている。

こうした不思議な現実は、自分自身が人生で期待する事柄をハッキリと自覚した人なら、経験することである。

ここで強調したいのは、なにかしたいことがあっても「◯◯をしたいけどできない」と考えてしまうことはまだ悪くはないということである。なぜなら「◯◯をしたい」ということを自覚しているからである。

「できない」という考えはいわゆるブロックである。それは自分が自分自身でかけた制限である。それは何らかによって変わる可能性が残されている。最初から、「◯◯がしたい」という自覚がないよりも、ずっとずっと、良いことである。

もしあなたが人生のしたいことを考えたとき、「◯◯がしたい、◯◯がほしい。でも自分には・・・」と思ってもそれを悪く捉える必要はない。少なくともあなたは、自分の望む何かを、自覚しているのだから。

だからこそ、「人生でやりたいことリスト」は、作るだけで十分に意味があるのだ。

紙に書き出したことすべてが実現することはないかもしれない。だが、あなたが「人生でやりたいことリスト」を作りそれを忘れてしまったとしても、数年後「あれ、これは叶っている」という不思議な現象に気づくかもしれない。

最後に

自分のしたいことリストを作るまでは、自分の密かな願望に気づかないだけでなく、自分自身で「私は◯◯だから△△である」と自分の人生を自己規定してしまう。

ところが、実際に自分のしたいことを制限をかけず自由に紙に書き出し、幾年もの月日が過ぎたとき。「なぜそれができたのだろう?不思議だ」という現実に出くわす。「できない」と考えるのは自分だが、それはあくまで自分がそう考えていただけだったことに気づく。

もちろんこの世界は、願えば今すぐ全てバラ色の何かに変わるような魔法があるわけではない。だが一つシンプルな事実がある。自分が願うことを知る。したいことを知る。そのことについて考える。するとそのうちのいくつかは、時が経ったのち現実化している。そんな不思議な現実である。

人生は長い。だが短い。それなら、したいことのいくつかくらい「したい」ことに気づいて、それをしてもバチは当たらないだろう。それなら人生で望むことを望んでもいい。人生は一度きりなのだから。