幸福とはたんに苦痛の欠如です。
澁澤龍彦
幸せとは一体何なのか?
昔から哲学者たちが延々と悩み、答えを出そうとしてきた疑問だが、物事はシンプルに突き詰めて考えることで、その本質が理解できる。
幸せの正体も同じである。こう考えれば、その正体がスッキリするかもしれない。
超シンプルな幸せの定義
まず幸せとは苦痛がない状態である。嫌な気持ちにならず、穏やかな気持ちを保てる状態である。
「嫌な部長が~」とか、「今月の収入は~」とか、現実世界を生きていく上で遭遇する、様々な問題で悩むことなく、現在だけでなく未来に対して、穏やかな気持を持つことができる状態。
これが幸せである。それは驚くほどあっさりしていて、あっけないかもしれない。しかし逆にこう考えてみれば、その意味が理解できる。
例えば、あなたは明日、あなたを罵倒して嫌な気持ちにさせてくる人と、8時間近く一緒に時間を過ごさなければいけない。
もしくは、一緒にいて疲れてしまう人と食事に行ったり、取り組むだけで胃が痛くなる仕事を10時間続けなければいけない。
そう考えたらあなたはどんなふうに感じるだろうか?そのとき、「私は幸せです!」と声を大にして宣言できるだろうか?
このように、幸せとは不安や苦痛がない状態と考えれば、非常に分かりやすい。
どう考えても辛いことは辛い!
結局のところ、どれだけ精神論を振りかざして、心頭を滅却しても、嫌なことは嫌だし、不愉快なことは不愉快なのが現実である。
となると、それらの苦痛をどれだけ現実で遠ざけることができるかが、シンプルに幸福度に直結する。この意味で、嫌なことを避けることは何も悪いことではないし、幸せな日々を送るために、必要不可欠な行動であると言える。
この意味で、変な根性論は完全に無視して、いかに自分が毎日穏やかに過ごせるか。不安なく、明日を迎えることができるか。そのために、自分の人生で何を遠ざけて、何を近づければいいか。
自分なりに考えて取捨選択できる努力をすることが、現実的な幸福の見つけ方と言える。
人として成長するために、不幸のなかに飛び込んでいくのはドMすぎる。そんなことは意識の高い人だけに任せておけばいい。
ノーペインノーゲイン(痛みなくして成長なし)とは言うものの、それは程度による。むしろ現実では、痛みがなくワクワクできる行動を起こす方が、自分にとってハッピーな現実を引き寄せることができる。
最後に
嫌なことは嫌。辛いことは辛い。最初からやせ我慢せず、苦痛を遠ざける日々を送る。この習慣を大切にいれば、幸せを感じられる時間が増え、人生は穏やかになる。
仕事でも人間関係でも、苦痛があるのは仕方ない部分もある。しかしそのなかで、意識的に苦痛の原因となるものを遠ざけていくことも大切である。
嫌なヤツとは極力距離を置く。向いていない仕事はさっさと辞める。
我慢できる範囲の苦痛であれば問題ない。そうやって少しづつ、人生でバランスを取っていくのである。こうすればわざわざ幸せをどこかに探しに行く必要もなく、心穏やか。安心できる日々へと、近づくことができる。
だから嫌なことはさっさと手を引けばいい。自分の幸せを、自分で今ここから作っていくのである。
出典
『快楽主義の哲学』