人生は山あり谷あり。
幸せなときがあれば「なぜこんなことが?」と生きることを困難に感じるほど、不幸な出来事がやって来る。
本来、幸せなときに不幸がやってきたときの準備をしておけば、そのダメージを小さくすることはできるが、人生必ずしも計画通りにいくとは限らない。
準備をしようが何をしようが、どうしようもないときというのは、実際問題、存在する。それは人知を超えた問題であり、自助努力の範疇を超えたものである。
ではどうするか?生き残ることを最大の目標に、そのときをひたすら耐え抜くことである。同時に現状の認識を改めることである。それは底ではない。新しい始まりである。
一つの終わりは一つの始まり
もしあなたが、いかなる努力を尽くしたにも関わらず、日に日に現実が悪くなっていき、精神的にも追い詰められ、もはや「打つ手なし」という状況に陥ったとき。
あなたはそれを人生の底だと考えるかもしれない。確かにそれはそうと考えることもできるが、一つだけ忘れてはいけないことがある。
底に到着したということは、もうそれ以上事態が悪くならないことを意味する。つまりそれは一つの終わりであり、新しい何かが始まる瞬間である。
大切なのは、新しい何かが芽生えようとするその変化を、見逃さないことである。それは見つかる。必ず、見つかる。
大きな流れに翻弄されて
私たちの人生は、大きな流れの中に揺れ動かされるのが定めである。
その変化に巻き込まれたとき、最も大きなダメージを受けるのが、変化を受け入れることを拒む人である。
その流れは我々の力では如何ともし難い。変わっていくことは天地の理であり、個人がいくら強い意思を持ってその変化を拒んでも。我々は己の無力さを思い知らされるだけである。
しかし、変化はあなたが今持っているものを、ただ一方的に奪っていくだけの存在ではない。それは同時に与えてくれる。あなたが進んでいく、新しい道を。
堪え場を乗り越える
すでに変化が起こっているなかで、今ある「すべての現実」をそのまま保持することは難しい。
もちろん、一つのチョイスとして、状況に逆らう「一手」を打つことはできる。しかし人生には自ら仕掛けていいときと、自ら仕掛けてはいけないときがある。
そして、追い詰められたときに試みる逆転の一手が、むしろ逆に自分の首をしめる「致命傷」になることは古今東西から続く法則である。
そのため大切なのは、今すぐ状況を逆転させる方法を見出すことではない。
なんとしてもその堪え場を耐え抜くことである。そこを乗り越えさえすれば光は見える。一時的に何かを失ったとしても、それは別の形で補償される。
最後に
堪え場がやってきたときに大切なのはじっと見つめることである。今起こっていること。そして、今どんな流れの中にいるのかということを。
今は底じゃない。新しい始まりである。堪え場をしのげば必ず、また新しい光が見える。大切なのは生き抜くことである。
最悪の夜は長くは続かない。必ず、朝がやって来る。そして、「もうダメだ・・・」と思った次の瞬間、逆転のチャンスがやって来るのは決して偶然ではない。
素晴らしい日は、再び必ず、やって来るのである。