恵まれない環境で育った意味と強み

闇の中で光を見出す

世の中には生まれつき、最初からすべてを与えられたような恵まれた環境で何不自由なく育てられた、人生イージーモードのように見える人がいる。

一方で、生まれた瞬間からマイナスの連続。親や経済的な環境など、様々な理由によって強制的に人生ハードモードを強いられているかのように見える人がいる。

私達はこの現実を知り、実に世の中が不公平で、理不尽なものなのかを憤慨する。ただ、本当にそれが不公平なことなのか。この記事を読めば新しい見方ができるようになるかもしれない。

はじめに

人生最初から「すべて」がそろっている。

恵まれた家庭で大きな家に住み、欲しいものは何でも買ってもらえ、したいことはなんでもやらせてもらうことができる。

おまけに親が権力者なら、学校や社会にわがままを言い自分を通すことができ、「私たちは特別である」と悦にひたることができる。そしていずれ遺産相続で親の富を引き継ぎ、生きていく上で何不自由なく生きていくことができる。

この人生が損か得かでいえば、得のように見えるかもしれない。しかしこのような人生が本当に得なのか。イージーモードの人生が憧れる価値がある人生なのかといえば、それは全然違う話である。

自分で人生を作り上げる喜び

あなたは『ドラクエ』というゲームを知っているだろうか?

『ドラクエ』は自分がゲームの主人公となり、冒険に出て、様々な問題を解決し、めでたしめでたしを迎えるRPGゲームである。

冒険を始めたばかりの頃は、レベル1でお金はゼロ。弱くてすぐに死んでしまうが、コツコツ敵と戦いレベルアップ。お金もためて、強い装備を購入。キャラを成長させていく。

ときに敵に倒されてがっくりするけれど、もっと強くなって倒せなかった敵を倒す。このような経験と成長する喜びこそRPGをプレイする醍醐味である。

こんなゲームはすぐ飽きる!

しかしここでどうだろう?

物語をスタートした最初の段階からお金はMAXの9999999ゴールドを所持し、主人公は最初からLV99の最強状態。

アイテムはなんでも自由に購入することができる。出現するモンスターもワンパンで倒すことができ、サクサク冒険を進めることができる。ゲームの道中、何かに詰まることはなく、楽々ゲームをクリアできる。あなたは、それを面白いと感じるだろうか?

もちろん最初は、何でもかんでも俺TUEEE状態で「万能感」を味わうことができるかもしれない。それはそれで新鮮味を感じるかもしれない。しかしすぐに飽きる。そしてプレイをする気が失せる。

なぜなら、そこにはお金をためて強いアイテムを手に入れる楽しさや、キャラクターが少しずつ強くなっていく楽しさ、勝てなかった敵に勝てるようになる喜びなど、成長の過程を楽しむ機会が完全に失われるからである。

恵まれた家庭で育つ意味

最初から何もかもが与えられている状態。それはすなわち、自分で何かを得る機会を奪われている状態である。

例えば親が大金持ちで財産家。働かなくても暮らしていける財力がある家庭に生まれたら。確かに就職もしなくていいし、365日遊んで暮らせるかもしれない。

しかし、最初からお金を自由に与えられるからこそ、お金の大切さが分からない。自分でお金を稼ぐ喜びが分からない。仕事をしてお金を稼ぎ、成長する機会が与えられない。想像できるだろうか?この大いなる機会損失を。

それは、過保護に育てられた子どもが自分で何一つできない大人になってしまうようなもの。これはある意味、とても残酷なことである。恵まれた環境で育つことは必ずしも、幸運なことではないのである。

「何もない」からできることがある

その一方。家が貧しく、親が教育に関心を持たない。学歴は不要で、本など読む必要はない。

そんな家庭で育つのは確かにハードモードだろう。家族には誰も頼れる人がいない。すべて自分でなんとかしなければいけない。だからこそ「自分を最大限に成長させることができる」「自分ですべてを築くことができる」と考えたらどうだろう?

そしてこれは実際にそうで、世の中で自分の人生を見出し、自分の居場所を見つけ、成功をおさめている人のなかには、恵まれない環境から人生を切り開いた人が少なくない。

自分が苦労し、不幸を味わい、それを乗り越えて自分の人生をつかんだからこそ、得られた何かがあるのである。むしろ、人生の初期段階でマイナスが多い人はその後の人生でプラスを与えられる機会が多い人とも言える。

恵まれない幸運

与えられた環境が厳しいとき、なぜ人生が「不公平なのか?」と悩むことは当然である。あるものよりも、ないものに意識を向けて、「だから自分は何をやってもダメだ」と自分をあきらめること、人生をあきらめることもかんたんである。

しかし忘れないでほしい。何もなかったからこそ。恵まれない環境を与えられたからこそ、得られる最大のプラスとなりうるということを。

下で這いつくばり苦労すれば、そこでしか見えないものが見える。それは、そのときしか経験できない、大いなる学びである。それは、最初からすべてを与えられてきた人には絶対に学ぶことができない、価値ある気づきである。

綺麗事のように思えるかもしれないが、これは紛れもない、事実である。「最低」を知るからこそ、本当の意味での「最高」を知ることができるのだ。

最後に

人生イージーモードに生まれたら、それはそれで、その人生は楽をして楽しく生きるのもいい。

しかしもしそうでないなら。恵まれた環境に生まれなかったことを嘆くのではなく、むしろ逆に、自分で様々なものを築き上げるチャンスをもらったと考えてはどうだろう?

貧しい家庭に育ったなら、自分で豊かな家庭を築くチャンスを。お金持ちになるチャンスを。愛情が寂しい環境で育ったなら、自分が愛に溢れた環境を築くチャンスを。

すべては考え方次第である。人生最初から全て与えられているようなチートで楽しんだところでそんな人生は退屈である。何かを克服することによって得られる自分への信頼も獲得することができない。

だから自分でつかめばいい。自分が欲しいと思うもの。実現したいと思う、理想の人生を。