人生に訪れる「何もない」時期の意味

ベンチに座ってる人

人生には、「何もない」時期がある。

何か嬉しいことが起こるわけではなく、特別なイベントもない。新しい出会いにワクワクすることもなければ、仕事にも変化がないように見える。

ただ、毎日が、昨日と同じように過ぎていく。そんなとき、自分の人生は平凡で、まるで時が止まってしまったかのように感じてしまう。停滞しているようにしか、見えない。

人生には、そんな時期がある。

そのとき私たちは、「なんて無駄な時期なんだろう」と思ってしまうかもしれない。だが大切なのは、それが人生のサイクルの一部であるということを、知ることだ。

「高く飛ぶ前に、深く屈む」

「山高ければ谷深し」

人生を表現する様々な比喩があるが、それらが伝えんとすることはシンプルだ。

人生にはいろんな時期があるということ。動く時期があれば、動かない時期もある。昇る時期もあれば、沈む時期もある。

それが人生の自然な一部であり、何もない時期でさえ、それ相応の役割が、きっとあるのだ。

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何もない時間にも、未来につながる何かがある

人生で起こることは、最初は点である。

それが起こったとき、その出来事がどんな展開へとつながっていくか、その時点で見通すことはできない。

人生で何も起こらないとき、それは停滞に見えるかもしれない。無駄に思えるかもしれない。

しかし、何も起こっていないように見えたとしても、何かがじっと、動き始める準備をしているかもしれない。

そして、何もないからこそ、未来に咲かせる種を撒く、最善のタイミングかもしれない。

「何もない」「何も起こらない」からこそ、何かを始めることもできる。人生、その時期だからこそできることがある。無駄は、決して、ない。

外側が止まったとき、内側が動き始める

目の前のことでいっぱいいっぱいのとき、「やらなければいけないこと」が多すぎるとき、それをこなすだけで精一杯だ。

自分のことやこれからのことを考える余裕を持つことは難しい。目の前の現実に、追い立てられるように、時間が過ぎていく。

ところが、人生が止まったように思え始めたとき、それまで見えなかったものが、見えてくる。考えようとしなかったこと、感じようとしなかったものが、初めて、見え始める。

「自分は、これでいいのか」

「本当は、どうしたいのか」

「この先、この生き方でいいのか」

人生で何も起こっていないように見えるのは、外側の話かもしれない。だが、自分の内側から何かが、起こり始めている。

あえて動かない、という選択

行動は、現実を動かす。だが、焦って動く必要はない。

人生が止まっているように見えたとき、ありがちなのは、

「だから、今すぐ行動しなければ」

「何かを変えなければ」

と、自分を無理に追い立ててしまうことだ。

心から、自然と、動きたいと思うならそれでいい。だが、無理に自分を動かしても、それは本来自分が進むべき場所とは違う場所へと、自分を追い立てていく。

大切なのは、自分を追い立てるのではなく、内側からかすかに聞こえてくる声を大切にすることだ。

それは、「これが、それです」と一目でわかるような、大きな声ではないかもしれない。むしろそれは、「なんとなく」といった、微妙な感覚かもしれない。

そしてそれは、今すぐ何かを変えようと自らを駆り立てているときではなく、静かに、自然と過ごしているとき、ふと届くのだ。

最後に

人生には、サイクルがある。

春夏秋冬があるように、花が芽吹き咲き誇るときもあれば、すべて枯れて、何も残らないように見える時期もある。

だが、それぞれのサイクルにはすべて、意味がある。全ては、つながっている。

春のない夏はない。夏のない秋はない。そして、秋のない冬はない。

今、あなたの人生が「何もない」時期にいると感じたなら。それを無駄と思う必要はない。むしろ、今何も起こっていないことが、大切なことなのかもしれない。

何もないからこそ、できることが、きっとあるのだから。