
ある意味で人生は、とても天邪鬼だと思う。
たとえば、
「これは、意味がないな」
「時間の、無駄だった」
こうした出来事が実は、あとになって、
「そうだったんだ、あの出来事はつながっていたんだ」
と気づく。
そんなことが、しばしば起こる。
一生懸命頑張ったけど、期待外れに終わってしまったこと。ほんとうはしたかったのに、予定が狂ってあきらめてしまったこと。
そんな、ネガティブに思えるようなことでさえ実は、一つのフラグになっている。それはそのとき、「ポジティブには見えない」ことも少なくない。
だから人生で起こることに、今すぐ意味を決めなくていいのかもしれない。それはもしかしたら、あとになって良いことにつながる可能性があるのだから。
「意味がない」と決めつけるのは少し待とう
「禍福は糾える縄の如し」
「人生万事塞翁が馬」
とても有名な故事であり、人生において「実用性が高い」故事だと、私は思う。
人生で起こることは、なにかにつながっている。つまり、一つの出来事がそれ一つで完結することはそうない。
一つの出来事は、別の出来事へと、つながっていく。だから、それが悪いことのように思えても、無駄だったと思えても。意味がないように思えても。
それは必ずしも、そうだとは限らない。むしろ本当の意味は、「今すぐ」ではなく「その後」に分かることのほうが多いように見える。
だからこそ短期は損気。今すぐその意味を決めてしまうのではなく、「保留」することも大切である。
「予想外」は、大切なイベント。
人生にはしばしば、予想外の出来事によって、私たちの願いや計画が、台無しにされてしまうように思えてしまうことが、しばしばある。
そのとき私たちは、
「こうあるべきだった」
「こうなっているはずだった」
と、モヤモヤを抱えて、後悔の念や、思い通りにならない人生に悩む。
だがここで、予想外の出来事は予想外の人生、つまり自分の想像をこえた別の可能性を、私たちに提示することもある。
あのとき、あの道を選ばなかったからこそ、出会うことになった人。あのとき、挫折してしまったからこそ見つけた仕事。あのとき、体が動かせなかったからこそ、気づけた自分。
ふと、いつもと違う道を歩いてみたことで、偶然知った店。予定がなくなったことで、たまたま話すことになった人。そのときは、「予定とは違う」から起こったことが、あとになって思わぬ道へと私たちを連れて行くこともある。
予想外はたしかに、私たちの「思ったとおり」の人生を進むことを拒むかもしれない。だが、それは必ずしも、私たちの人生を壊すために起こっているとは限らない。
小さな偶然に、気づく
「計画された偶然」(計画的偶発性理論:Planned Happenstance Theory)という概念がある。
キャリアの形成は必ずしも計画通りではなく、予想外の出来事や偶然の出会いが大きく影響する、という考え方だ。
それは、「自分にとって望ましいキャリア」は必ずしも「自分が思い描いた結果」見つかったものではないということを、意味している。
キャリアだけでなく、人生も同じように、思える。
「私は、こう生きたい」
「これが、最高の人生だ」
そんな青写真を描き、そこへたどり着くために、必要な準備をして、慎重に歩み始める。にも関わらず人生は、その道を安全に歩ませてくれないこともしばしばだ。
そのかわり、ところどころ、偶発的な小さな出来事が起こり始め、「気づけ」と促す。それはもしかしたら、受け止める必要がある、人生からの大切な呼び声なのかもしれない。
もちろん、偶然の出来事にすべて意味があると考える必要はない。意味を探そうとしなくてもいい。
大切なのは、心を開いておくこと。偶然それが起こったなら、予定と違ってもそれに乗ってみる。自分の考えと違っても、とりあえず受け入れてみる。
こうした小さな姿勢が、予想外の可能性に気づく、幸運の種になるかもしれない。
最後に
思っていたのとは違う出来事は、必ずしも不運なイベントに通じるフラグとは限らない。
確かに、一時的にそういう出来事は起こる可能性はある。だがその意味はまだ、わからない。だから、「長い目で見る」ことは、生きていく上で、とても大切なことである。
目標を達成できなかったとき。自分以外の要因によって、前へ進むことができなくなったとき。そこで「意味」を探そうとしても、ネガティブなものしか見えないとき。
決めつける必要はない。生きている限り、人生は続いていく。その本当の意味は、これから、自分の想像以上の形で、見つかるかもしれない。
だから今は、わからなくてもいい。「意味がなかった」と思った出来事も、「とりあえず、保留」すればいい。
その先に何がつながっているのかは、未来の自分が見つけるのだから。
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