支えあい、もたれあって存在している関係。それが縁の一つの相である。
遠藤周作
人と出会う。真剣に考えると、人の出会いというのは本当に不思議だ。
どんなきっかけで出会って、知り合って、仲良くなったのか?この世に生まれて、なぜ自分の周りにいたのか?知り合う場所にいたのか?
そのようなことを考えると、人の出会いには、自分の努力や見通し、知恵の及ばない、何かの力が働いているような気もする。
他人が他人でなくなる意味
知り合うべくして知り合った。縁にはそんな、不思議さがある。
別に出会おうと意図して出会ったわけではない。たまたま、自分の近くにいたから、知り合うことになった。
赤の他人であったのが、何かのきっかけで関係を深め、お互いをよりよく知るようになる。気がつけば、赤の他人ではなくなっていく。
その縁は1年で終わる人もいれば、10年20年、長い間続くこともある。しかし、縁の長さが問題ではなく、知り合ったこと、縁があったことそれ自体に意味があるように思う。
たとえそれが良縁であれ悪縁であれ、そこには何らかの必然性がある。互いが互いに意味を与えあっている。そう考えると、縁を大切にする気持ちもわいてくる。
だからご縁を、大切にする。
わたしたちがなぜ巡り合うのかは分からない。しかしただ言えるのは、出会ったご縁は縁は決して無駄にしてはいけない、ということである。
この世の中で出会った人。
それは出会うべき何らかの必然性があったからこそ出会ったご縁。それを無視すれば、人生で必要な何かを見逃すことになってしまう。
だからご縁を大切にする。それは綺麗事でも何でもない。人生を真剣に生きるために。学ぶべきことを学ぶために。必要だから、大切にするのである。
出典
『生き上手 死に上手』