怠惰な人はあるときだけ怠惰になるのではありません。常に怠惰なのです。
ケチな人はある事やある人に対してだけケチなのではありません。すべてに対して常にケチなのです。
つまり、怠惰やケチなどの悪徳は習慣化されて身についているから悪徳なのです。
そのほか悦楽や浪費や無節操などの悪徳も、すべて習慣化されているから悪徳になるのです。
渡部昇一
人とは一言で言って、習慣の生き物である。
無意識のうち、普段習慣化された行動を繰り返している。だから良い習慣を持つ人は、良い人になり、良い人生を送る。
一方で、悪い習慣が身についた人は、悪い人になり、必然的に悪い人生を送る。
それは性格という言葉で説明するまでもなく、習慣を見ればすぐに分かる。
例えば良い人は人の悪口を言わないし、人の足を引っ張るようなこともしない。やるべきことをきちんと片付け、真面目に働くことが習慣になっている。
行動はやがて現実的な結果につながるので、良いことをすれば必然的に良い結果がやってくる。ここに何の疑問もない。
しかし悪い人はまず人を当たり前のように傷つける。悪口を言ったり乱暴をしたり、ウソをまきちらしらしたり、他人の足を引っ張ることだけには人一倍努力をする。
ところが肝心の自分のことになるととてもつもなくだらしくなく怠惰。努力らしい努力はせず、人に自分が持っているものを与えず、人から奪うことだけを考える。
そんな行動を繰り返していれば、やがて不幸な結果にしかならないのは明白だ。つまり、自分が蒔いた種を自分で刈り取ることになる、というのが世の中のお約束である。
このように、結局人のそのものの本質とは習慣である。
その人がどんな習慣を持っているのか。それがその人の人間性、そして運命を決定する。それはまさに、習慣を変えれば、運命さえ変えられることを意味している。
幸い習慣は変えることができる。この意味で人はいつだって変わることができる。人生をやり直すことができるのだ。
出典
『一冊まるごと渡部昇一』(致知出版社、2018年)