目の前の人に興味を持つ。接点を見つける。会話をする。それによってその出会いは

2人の女性

僕たちが日々すれ違う人たちの中には、いろんな人がいるんだということです。それぞれ二度と会うことがない人かもしれないけれど、すれ違う瞬間までそれぞれにはそれぞれの人生があって今日まで生きてきたんです。僕たちの人生に奇跡を起こす種はそこら中にあるということです。

運転者

人との出会いによっては道は開き、あるいは閉じられる。

思わぬ場所、思わぬときによって生じた、思わぬ人とのご縁によって道は開かれる。人生のステージが突如として変わる。だからこそこう思わずにはいられない。

確かに「僕たちの人生に奇跡を起こす種はそこら中にある」という言葉は正しい、と。

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はじめに

人はそれぞれの歴史を持つ。生まれた場所。育った過程。成長する過程で身につけた価値観。「バックグラウンド」と一言では語れない、様々な歴史を持つ。

生まれも育ちも違う人と人が、何らかの理由で出会う。その出会いは必ずしも意図されたものではなく、ときに完全な偶然のようにすら思える。その「たまたま」の出会いがその後、どのような物語を生み出すかは、出会ったときにはわからない。

ただ一つ言えるのは、

「この人は自分の役に立ちそうだ」

「あの人とつながっておけば自分は得をするだろう」

などの損得でその出会いを考えず、シンプルに相手に興味を持つ。その人と出会いあったという「ご縁」を大切にする。それによってできたつながりが私たちの人生を変えていくということである。

出会いの意味は、つねに「あと」から分かる

今何らかの理由で日々接している一人一人には、それぞれの人生がある。偶然すれ違っている人にも、それぞれの人生がある。偶然かそうなるべくしてなったのかはわからないが、人生が一部分にしろ折り重なった。

それが「袖振り合うも多生の縁」なのかどうかはわからない。だがそこに意味と気づきを見出すことは、確かにできる。

たまたまの出会いを「ご縁」に変えていくか、「人生で一瞬すれ違った人」にするのか。その選択は自分次第であることは間違いない。だからこそ出会いを一期一会として受け止め、大切にする心の習慣を持つことはとても大切である。

今そこにいる人は、実は大切な人かもしれない。今は大した影響がない人かもしれないが、実は将来のある部分で、大切な役割を果たす人かもしれない。それはそのときにならなければ、わからない

出会いを「ご縁」にする考え方

ただ一つ、シンプルに言えることは今そこにいる人々、今ここで顔を合わせた人々、関わることになった人々との関係を大切にすることこそが、その出会いをご縁に変えていくということである。

目の前の人に興味を持つ。接点を見つける。会話をする。こうした小さな、しかし自然なコミュニケーションを取ることによって、その関係は大切な「ご縁」に変わっていく可能性がある。

そこに損得は挟まない。シンプルに今この瞬間、生まれも育ちも考え方も、何もかもが違う互いの人生が重なりあっていることを尊重し、大切にしていくことが大切ではないか。それは自分自身にとってもそうだし、相手にとってもそうなのかもしれないのだ。

最後に

考えてみれば本当に、人とのご縁は不思議なものである。

ある日偶然出会ってしまった人。その出会いによってその先の人生は文字通り、180度異なった展開が用意されている。その出会いがあった人生となかった人生。その未来は完全に、別物である。

そして興味深いのは、そうした出会いほど「出会おうと考えていなかった」ときに訪れてしまう、ということである。それはまさに「突然」としか言いようがない。

「事実は小説より奇なり」というが、まるで物語のように予期されていたとしか思えない出会いが現実としてあることもまた、事実である。だからこそ深く深く、かみしめてしまう。「ご縁」という言葉の意味を。

出典

『運転者』