【正負の法則】人生に「ほどよい不幸」が必要な理由

一人悩む女性

逆説的な話だが、本当の意味で幸せな人生を送るためには、必要最低限の不幸が必要である。

私たちは人生何もかもが順調で、やることなすこと全てがうまくいく人生や、思い通りになる人生を、幸せな人生だと錯覚をしがちである。だが、実際は違う。

人生において「プラス」を手に入れる生き方は、人生の然るべきタイミングで、それまで得てきた「プラス」に応じた代償を、支払うことになるからである。

一方、挫折や敗北、大切な何かを失うこと。そんな「マイナス」を経験した人は、人生の然るべきタイミングで、「(いろいろあったけど)私の人生は、これで良かった」と実感する、自分サイズの幸せに気づくことができる。

このような、人生において「プラスとマイナスは最終的にはイコールになる」という法則を、「正負の法則」と言う。

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正負の法則とは

「正負の法則」とは、芸能人の美輪明宏さんがその著書『ああ正負の法則』で説いている人生の法則である。

内容をかんたんにご紹介すると、人生では何かを得れば必ずそれ相応の何かを失う、つまり「プラスとマイナスのバランスによって人生は成り立っている」ことを説明する法則である。

この話を初めて知ったときは強い衝撃を受けたことを告白せざるを得ない。というのは「正負の法則」という視点で自分自身の人生を振り返ったとき、その時点では納得できなかったことや、分からなかった数々の疑問が、スッキリと理解できたからである。

人生は「見えないところ」で公平な件

例えばあなたは知っているだろうか?誰もがうらやむような、大きなプラスを抱えている人が、人生の裏側では、様々なマイナスを抱えていることを。

成功の絶頂で、最も大切な人を失った歌手。「成り上がり」を目的に前進し成功、莫大な富を手に入れた後30億の詐欺にあった成功者。

具体的な名前は書いてはいないが、これらは実際に起ったことである。大きなプラスを手に入れた人がその後、大きなマイナスがやって来ている実例は、至るところで見つけることができる。それは有名無名を問わない。

すなわち何かを得れば何かを失う。決して代償を支払うことなしに、何かを手にし続けることはできない。この世界には、そんな法則がある。

手に入れたものの代償を支払う

結局のところ、光が当たれば影が差す。そして、光が強ければ強いほどその影は濃くなっていく。

人から注目を集めたとき、必ず一定の割合で敵意を向けられる。経済的に成功し、富を築けば、納税の負担が重くのしかかるだけでなく、お金の匂いを嗅ぎつけた有象無象の人々が、その分前に与ろうと寄ってくる。

「手に入れたプラスが大きければ大きいほど支払う代償も決して小さくはない」という現実は、この世界で目に見えているものだけが物事の全てではない、ということを教えてくれる。

だからこそ、人を羨むことは完全に無意味である。あなたが羨望を向けているあの人は、もしかしたら、得ている何かによってそれ相応のマイナスを支払っているかもしれない。

それは表面上は分からない話である。しかし当の本人にとっては、極めて現実的で切実な問題である。

負を「先払いする」という発想

なぜ不幸な経験をした人が、人生の然るべきタイミングで、「私の人生はこれで良かった」というような幸せに気づくことができるのか?それは「正負の法則」がその理由を教えてくれる。

ここで重要なことは、「私の人生はマイナスが多すぎます。だからこれからも・・・」と考えるのではなく、「人生の負を先払いした」と考えることである。

人生で先に「マイナスの経験した」という事実は、後々訪れるプラスの経験をするために必要な過程であり、だからこそその経験は「負を先払いした」と考えることができる。

つまり、話はこうだ。「先にマイナスの経験をしておく」ことによってその後、「(それまでのマイナスに釣り合う)プラスの経験を引き寄せることができる」ということである。

この考え方はあらゆる場面で応用することができる。つまり人生では適度に損をしておく。人間関係でも仕事でも。自分が一定の割合で「あえて」損を自発的に買って出るのである。

これが、正負の法則を有効活用するための「負の先払い」という方法である。それは、将来におけるマイナスを予防するための、行動である。

最後に

人生、「プラスだけ」を経験することはできない。プラスには必ずマイナスが付随する。プラスが大きければ大きいほど、遅かれ早かれ、それに伴うマイナスがやって来るからである。

一方、その逆も然り、である。人生で大きなマイナスを経験した分、それは必ず、それ相応のプラスに転化する。ナポレオン・ヒルもこう言っている。「逆境にはそれ相応の利益の種子が隠されている」と。

そう考えてみれば、人生はもしかしたら、「大成功」とか、人より「恵まれすぎた」人生など、手に入れない方が本当は幸せなのかもしれない。

結局は普通で平凡な、程よい幸せと程よい不幸がある人生が、ちょうどいいのかもしれない。その程よいバランスこそがきっと、「自分の分」であり、「幸せな人生」なのだろう。