「幸福=心が満ち足りていること。」
(Wikipediaより)
幸せについてのシンプルな考察。
人生、不幸になるよりは幸せになったほうがいい。では具体的に幸せとは何なのか?どんなものなのか?
この記事では、一つの見方を提供したい。
幸せとは
人はこう言う。
「幸せになりたい」
幸せな家庭、幸せな結婚。幸せという言葉は、人生においてポジティブな意味で使われる。
でも、幸せとは何か、具体的にどのようなものか、どんな状態なのか、それを説明するのはとても難しいものだ。
一般的に幸せは、お金、名声、容姿(美貌)、人間関係、健康が幸せを測るモノサシになると考えられている。これらを持っていることが幸せだと考えられている。
お金をたくさん持つ。異性にモテる。友人がたくさんいるetc・・・。
あればあるほど、持てば持つほど、幸福でよいことだと言われているが、でも、実際はどうなのか?幸せになれるのだろうか?
幸せの基準
何が幸せなのか、そのことを真剣に考えると、答えはますます分からなくなってくる。幸せはうつろいやすく、絶対的な答えがない。
ある人にとって、お金がたくさんあることは、幸せになるかもしれない。でも、お金で幸せを感じられない人もいるかもしれない。なぜなら、お金をたくさん持つことでやって来る不幸もあるからである。
そしてその他にも、以前幸せを感じたことが、年齢を重ねるうちにつまらなくなったなど、幸せという気持ちはつかみどころのないもの。
前に「幸せを感じていたこと」が、無価値でつまらなく、空虚なものになってしまうのは、よくあることだ。
幸せな人生を送るために必要なこと
今の世界は、絶対たる正しさのない時代。昨日の正義が悪になり、今日の不正が明日の模範になりうる時代。
価値観が瞬く間に変化していく世界。正しいものがない、すがるものがない、諸行無常の世界。世の中の基準など、あっという間に変化していく。
だからこそ、周りに流されず、自分にとって何が大切なのか、何が幸せなのか、真剣に考える必要があるのかもしれない。
人は、人から無理矢理押し付けられたことには納得できない存在だ。周りがどう言おうと、自分のこころが満足しなければ決して満たされることはない。
幸せの定義
「人生の幸せ=自分の人生を自分なりの方法で過ごせること」
何もないけど幸福な人、こういう男がいる。
彼は30歳をこえて、ようやく素晴らしい恋人と出会い、家庭を築いたが、彼にはたくさんの収入がない。有名企業の社員でもない。学歴もあるわけでもない。
富も名誉も、名声もない。それでも「彼は幸せだ」と言う。その理由を聞くと、彼はこう話してくれた。
「朝、仕事に行くときは、必ず妻がいってらっしゃい、と声をかけてくれる。(収入が)足りない分は私も働くから、と妻が自分の状態をありのまま認めてくれる。それが何より嬉しい」
人と比較されない、ありのままの自分。それを認め、受け入れてくれる人の存在を見つけること、こんな幸せも、確かにそこに在るのだ。
持てども不幸な人
一方で、こんな男の話。
男は有名大学を卒業し、世間で言うところの一流企業と呼ばれる会社に就職。親も資産家で、働かなくても生きていけるお金がある。
学生時代より高級車を乗り回し、着ている服は、アルマーニやバーバリーなどブランド品。高学歴+高収入の男は自分から女の子に声をかけなくても、自然と女の子が彼の周りに集まってくる。可愛い美女たちと、いつでも楽しみ放題だ。
一人の男としてその話を聞くと、正直とてもうらやましいと思う状態だ。だが男はいつも不機嫌で、たびたび不満を口にする。
「仕事のプレッシャーで、夜はお酒がないと眠れない。自分の時間がとれない。寄ってくる女も、お金目当てなのが分かって嫌だ・・・」
はたからみて「うらやましい、あれば幸せだろうな」と思うことでも、本人にとっては全然幸せでないこともある。幸せに絶対はない。自分が幸せを感じられなければ、何を手にしても、結局幸せは見つからないのだ。
幸せは見つけられる。自分が気づきさえすれば
この意味で、幸せは自分自身で感じるものであり、見出すものである。
幸せがそこにあったとしても、自分がそれを見つけられなければ。感じることがなければ。そこにないのと同じである。この意味で、今人生がうまくいっていようとそうでなかろうと。それは幸せとは関係がない。
だから大切なのは自分自身で幸せを探す習慣を持つことである。今、良い気持ちになることを、普段から見つけようとする心の習慣を持つことである。
それがあれば日々、どんなときでも幸せの種を見出すことができる。そうすればわざわざ不幸を探して嫌な気持ちになることもない。すると自然に心も満ち足りる。だから幸せになれるのだ。