失望の真っ只中で自分を信じることはかんたんではない。それでもなお最後まで自分を信じれば

自分の人生に失望している女性

「自分を信じる」

この言葉を人生で実践し続けることは、そうかんたんなことではない。

努力しても報われぬ失望の日々。逆風が吹き続け、ほんの小さな一歩でさえ踏み出すことが難しい逆境の日々。

目の前に「自分の人生はうまくいく!」という一切の証拠がないとき、自分を信じ続けることは決してかんたんなことではない。

しかしそれでもなお。最後まで自分を信じ続けることが大切である。途中経過で何が起ころうとも最後の最後まで、信じ続けるのである。

はじめに

人生は積み重ね。一つ一つ、日々積み重ねてきたことがやがてそれは一つの全貌となり、人生に現れる。

しかしそのスピードは人それぞれ。つまり、あなたの人生がほかの人と同じタイミングで上手くいきだすとは限らない。だからあなたは人と自分を比べる必要などない。

あなたにはあなたのペースがある。

他の人より出遅れているように思えたとしても。自分だけ遠回りしているように思えたとしても。それはそれでいい。あなたには、あなたにぴったりのペースがあるのだから。

人生はある日「突然」変わる

しかし実際の話、あなたはついつい自分と人を比べて焦ってしまうと言う。

確かに、あなたが頑張っていることは分かる。だから焦る気持ちも十分に分かる。頑張っているからこそあなたの失望が大きいことも、強く分かる。

だから私はあなたに、「もっと頑張れ」とか、上から目線でアドバイスをすることなどとんでもない話である。そして「いつかあなたの努力は必ず報われますよ」など、希望的観測を伝えることもできない。

しかし一つだけ言える。人生はいつ、どこで、どうなるか分からない。

実際の話として、自分の人生を完全に見捨てそうになるほどの絶望を味わったのち。「人生、生きててよかったよ!」と実感できることが起こるうるのが、現実の人生である。

真に大切なのは「最後」の着地点

大切なのは最後の最後、「自分の人生はこれで良かった」とあなた自身が納得できることである。

世の中にはいろんな人がいる。若いうちから才能を発揮して輝かしい成功をおさめる人がいる一方で、苦労に苦労を重ねてなお、努力が報われるのを実感できない人もいる。

しかし、それが本当に悪いことなのか?その是非については結局「最後の最後」まで分からないのである。

例えば、やることなすことがうまくいき「ときの人」となっている人が本当に幸せなのか?その成功が祝福すべきことなのか?それは「今」だけ見れば良いことなのかもしれない。

しかし「人生万事塞翁が馬」。長い目で見ればむしろその成功が仇になる可能性。もっと言えばそれが人生における最大のピンチや最高の不幸を招く可能性が、実際にあるのである。

だから自分をあきらめるな!

一方。なぜ今あなたが人生で失望し続けているのか?

その本当の理由も、人生を長い目で見たとき「だから私はこのような経験をするようになったのだ」という瞬間が突如としてやって来るかもしれない。

だから今あなたの努力が報われようがそうでなかろうが、人生をそうかんたんにあきらめる必要はない。

失望しても大丈夫。むしろあなたその失望を味わう経験そのものがもしかしたら、今後あなたの人生において価値ある気づきになるかもしれないのである。これは気休めでもなんでもない。

繰り返すが、人生はいつ、どこで、どうなるか分からない。幸せと思っていたことが不幸せの原因となるように、あなたが今激しく感じている失望があなたの人生をより良くする祝福となる可能性があるのである。

最後に

大切なのは自分を信じることである。

何があろうと、どんな状況になろうとも、最後にはなんとかなる。「自分の人生はこれで良かった」とめでたしめでたしを迎えることができる。自分の人生の幸福な結末を信じることである。

人生は失望の連続で、うまくいかないように思えることが多いかもしれない。しかし、人生はいつ、どこで、どう変わるか分からない。

自分を信じて、すべての経験に必ず意味があることを肯定している限りにおいて、自分が自分を裏切ることはない。だから大丈夫。あなたにはあなたのペースがある。あなたの、道がある。