人は誰しも、客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味付けをほどこした主観的な世界に住んでいます。
あなたが見ている世界は、わたしが見ている世界とは違うし、およそ誰とも共有しえない世界でしょう。
哲人
人と人は分かり合うことができるかもしれない。
しかし、分かり合おうとする努力をしなければ、絶対に分かり合うことができない。
なぜなら、人はそれぞれ、「自分」というフィルターを通じて世界を見て、理解しているからだ。
「自分はこの人のことを分かっている」という錯覚
人はそれぞれ固有の世界を持っている。そして固有の解釈を持っている。
だからこそ、あの人も自分と同じように考えているに違いない、と考えてしまうとトラブル発生。
人間関係の難しさを実感すること間違いなしだ。
つまり前提条件としては、どんなに親しい人であれ、私はこの人のことを分かっている、と考えてはいけない。
むしろ、私はこの人を理解できていない、と考える方が確実である。
だから親しき仲にも礼儀あり
人は人、そして自分は自分。
自分と人は考え方も価値観も何もかも違う。だからこそ、分かり合おうとする努力が必要だ。
人間関係はこれくらい慎重なくらいがちょうどいい。
そうすればきっとどこかで、分かり合えるところだって見つかるかもしれない。
何にせよ大切なのはただ一つ。
どんな親しい人であれ、その人のことを完全に理解した気にはなるな、という話である。
出典
『嫌われる勇気』