人間関係で多少の打算は仕方がない。ただその度がすぎると

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人は打算的なほど、ますます明日が寂しくなるんじゃ。

竹原慎二

世の中の現実として、基本的に人間関係は寂しいものである。

なぜなら、人間関係とは結局のところ、ギブ・アンド・テイク。打算によって動いているからである。

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「損」「得」はたしかにシンプルだ

この人といると得をする。

おごってもらったり、何かをもらったり、すごい人脈を紹介してもらったり、いろいろ良い思いができる。

だから、人付き合いを損得勘定で考えて「得をする人と一緒にいたい」と思うのはある意味、仕方がないことかもしれない。

人々が皆打算などなく無条件に人を信頼して、支え合い助け合う。それが本当にできるなら素晴らしいことだし、世の中はもっと平和で、優しい世界になるはずである。

これが虚しい人間関係

ところが、現実はそうではない。

世の中の人間関係は利害関係であり、仕事の人間関係だけでなく友人。そして、人生で最も信頼すべき人間関係の一つである夫婦関係でさえ、そこには打算が潜んでいることが少なくない。

私たちはそれを「愛」と言ってごまかすが、結局は「この人といると何か良いことがあるから」と思えるからこそ、一緒になることを選ぶ人も少ないない。

だから金の切れ目が縁の切れ目。

別れがやってきたときは、もはや、「愛」という言葉を口にだすのもはばかられるほどの「現実」を直視する羽目になる。

この意味で人間関係は基本的に寂しい。相手に何かを求めれば求めるほど、ますます寂しい日々がやって来る。

目指すは偽善者よりも現実主義者

では「どうしたら寂しさを解決することができるのか?」という話だが、「打算的になるのをやめましょう」というような、脳筋的な話でもない。

私たちが権謀術数が蔓延る打算的な世の中で生きている限りは、打算的に生きざるを得ないのが正直なところだ。

なぜならそういう環境がそこには実際あるからである。その現実があるのに「みんなのことを思いましょう」的な理想論を振りかざしても仕方ない。そんな人はただの偽善者である。

とはいえ打算だけで生きていれば人生はますます寂しくなる。だからたった数人、いや、一人だけでもいい。打算なく心と心で付き合える。そういう人を見つけることが大切である。

最後に

人間関係に打算的になるのは仕方ない。しかしすべてがすべて、打算になるのは寂しすぎる。そして虚しすぎる。

人生、現実的に打算は必要であるが打算だけを考える人生の行き着く先は、ただただ寂しい人生が待っているだけである。

それでもたった一人だけでもいい。打算なく付き合える人がいるならば。本音で物を語り合い、真実を告げられる人がいるならば。ありのままの自分を見せることができる人がいるならば。

多少の寂しさはあるかもしれないが、人として真っ当に生きていくことができる。結局のところは、それで十分なのである。

出典

『竹原慎二のボコボコ相談室』