他人のあやまりに気づいてもあえてそれを指摘する必要はない。なぜなら

プライドが高い美女

人間は、自分の人生が無意味でないことを確信することに全人生を費やす存在である、とカミュは言った。

しかし、自分の人生が無意味でないことを、どうやって証明したらよいのだろう。自分の行為を正当化する方法を探し出すことによって可能になるのである。

アンソニー・プラトカニス

人は皆、自分が正しいと信じている。だから、何か間違ったことがあると、それは自分が間違っているのではなく、他の人が間違っている。そう考える傾向がある。

この人間の習性を知っておくことは、自分自身のためだけでなく、この世の中で人との無用なトラブルを起こさない上でも、とても有益なことである。

人間関係で大切なことは、正しいか間違っているかではない。むしろ、人の気分を害するか害しないか。そこに注意の比重を置く必要がある。

だから、人前で誰かのあやまちを「正義は我にあり」と指摘するのはNG中のNG。

かりにあなたが正しかったとしても、自分のあやまりを指摘され「メンツ」を潰された人は、後日あなたへの復讐を目論むことは避けられない。

だからこそ、人付き合いにおいては「角が立たない」ことが一つの処世術。敵を作らないための、大人のノウハウである。

かりに相手の間違いを指摘するにしても(立場上指摘しなければいけなかったとしても)、極力相手のメンツを潰さない工夫する必要がある。

そう、その気遣いはめんどくさい。しかし、その面倒な気遣いによって敵を作らず、足を引っ張られないための作法となる。

このように、世の中はいろいろめんどくさい。しかしそれがまさに、現実の世の中なのだ。

この世で余計なトラブルに巻き込まれたくなければぜひ、

「人はどんなときも、自分こそが正しいと思っている生き物である」

ということを、絶対に忘れないようにしよう。

出典

『プロパガンダ―広告・政治宣伝のからくりを見抜く』