悩みは「消す」のではなく「共存」する。

笑顔の女性

「すべての悩みがなくなるような力を求めてはいけない」

そう、何かにつけて弱い自分をいっぺん強くするような、そんな力はないのだ、それを求めてはいけない。自分の弱さを受け入れる、そのことに彼は思い至ったわけです。

エピクロスの時代から、何千年も説かれているにもかかわらず、今もまだ人々はこの言葉「すべての悩みがなくなるような力を求めてはいけない」というシンプルな定石を実現できずにいます。

加藤諦三

人生生きている限り起こることはすべてハッピー。

日々晴天の心地良い日々が続き、出会う人、関わる人はみんな良い人。気持ちは晴れやかで、心の底から豊かな気持ちが溢れてくる。人生は思い通りで薔薇色。そんな現実が存在するならば、それはそれで最高だ。

だが、あなたが「私の人生は曇天のようです。日々、悩みが尽きません」という状況でも問題はない。人生とは悩む中で生きる意味を模索する試みだからである。

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はじめに

正確な内容は忘れたが「すべての悩みが解決する瞬間、それは私たちがあの世に行くときである」という趣旨の言葉があるが、これはまさしく真実である。

なぜならこの世界に存在している間、私たちは何かによって不安を感じ、何かによって戸惑い、生きることに苦悩する。

私たちは自分自身を最善の努力によって一定の範囲でコントロールすることはできる。だが、病気や体の衰えなど、自分自身でさえどうしようもなくコントロールできないこともある。

その上、この世界では自分自身の試みによってコントロールできないことのほうが多い。他人や天気、株価、世界の動き、挙げればきりがない。結局のところ、生きていくということは、自分自身ではどうにもならない様々な事柄に影響を受けるものである。

生きている限り悩みは

より良い自分を目指しどれだけ努力を積み重ねても。どれだけ完璧を目指しても。私たちが生きている限り、悩みが尽きることはない。私たちは失敗し、ミスをする。そして悩む。それは自然なことである。

成長や成功、自分にプラスだけを重ねていく生き方は快適かもしれないが、それでもなお人生から、悩みが完全に消え去ることはない。何かを得ても、何かを成しても、それに付随するマイナスが必ず、発生するからである。

そしてそもそも私たちが人間である以上、私たちは完璧な存在になることは土台不可能である。ゆえに、生きている限り私たちは不安を感じ、悩むことを運命づけられた存在である。だが、それでいい。

それは、メッセージ。

私たちは悩む。ゆえに、その悩みから解放されようと、様々な試みを行う。

それによって私たちは、なぜこの世界に存在するのか?それぞれが、自らの生きる意味を模索する。すなわち私たちは、悩みという痛みによってこの世界に滞在する理由を確認する。

逆に言うなら、全く悩みを経験しない人生は楽だが、悩みがない人生を生きる意味はないと言える。悩みによって私たちは自分を知り、自分の人生について「想う」のである。

だからこそ大切なのは、悩みを消し去ることではない。悩みと共存し、それがもたらすメッセージを受け止め、自分自身の人生を発見していく。それこそが、悩みが存在する意味であり、理由である。

最後に

悩みがあるからこそ生きる意味に気づく。痛みを経験するからこそ、喜びを知る。人生はそんな「逆説」があふれている。

悩みのない人生。すべてが満たされる人生。それは理想で、幸せな状態かもしれないが、そもそもの前提としてそのような人生は現実的にはありえない。

結局、人生で何をしようと、人生にはそれぞれ何かしらの、悩みが与えられる。そして、一つの悩みが消えたら、また新しい悩みが生じる。私たちが生きている限り、それは続く。

だがそれは、私たちを苦しめるためではなくきっと、何かを学ぶために必要なもの。私たちは悩みによってこの世界に滞在する意味を知り、この人生で学ぶ必要があることを学ぶのだから。

出典

『テレフォン人生相談』