人間は、自らの本質に基づいた行為をしたとき、成功の確率は最も高くなるのである。
塩野七生
望む望まないに関わらず、「自分」という条件はまさに人生のあらゆる部分に影響を及ぼす。
「自分」は自らの意思や選択によって後天的に変えることができる部分も確かにあるが、自らの意思や選択によって変えることができない部分もある。そして、それらは運命に対し強制的に影響力を及ぼす。
この意味で、変えられない部分と変えられる部分を含む、「自分」を知ることはとても大切である。
自ら変えることができる部分。そして変えられない部分。それらを理解し統合することによって私たちは、「自分」をこの世界に適応するための、最も自然な方法に気づくことができるのだ。
はじめに
「私たちは誰にでもなることができる」
という標語がある。それが意味する理念とはずばり「無限の可能性」である。
人生はまっさらな白紙であり、自らの意思と選択によって白紙に様々なものが描かれていく。それによって出来上がるものがまさに「自分」と言う名の物語、という考え方である。
だが実際のところ、私たちがこの世界に生まれ落ちた瞬間より、私たちはそれぞれ、人とは違う「自分」という条件を課せられている。
小さな段階においてそれは他者とあまり違いがないように見えるかもしれない。だが私たちが大人になるに連れ、「自分」の芽が外へ外へと芽吹き出し、現実に影響を及ぶす。それが良くも悪くも、私たちの運命に干渉する。
その事実に気づいた瞬間、私たちは「自分」の人生を自らの意思によって歩み始めるか否かを選択する。
「自分」の可能性を知り、世界に適応させていく
「私は○○できる、○○がある」
「私はXXができない、XXがない」
「自分」の条件を冷静に突き詰めていけば、そこには良いと思える部分もあるし、悪いと思える部分もあることに気づく。そして「自分」ができること、そしてできないことがあることを認め始める。
だがそれは決して悲報ではない。できないことを知るからこそ、できることに気づくことができるからである。この意味で、「私の可能性は無限大である」という認識は、逆説的であるが「何者にもなれない」段階にいることを意味している。
「自分」を知り、その特質、限界を知ることによって私たちは初めて、本当の意味で「自分の可能性」を見出すことができるのである。
「自分らしい」ゆえに「成功の確率は最も高くなる」
「できないことはできない。しかしなにかできることはある」
この自己認識こそがまさに、「自分」の生きる道を指し示す重要なヒントになる。
人それぞれ「自分」は違う。Aさんがそれが可能だからといって、あなたも同じではないかもしれない。だが、Aさんにとっては不可能だけれど、あなただからこそ可能なこともある。
選択の本質とは他の可能性を切り捨てることである。様々な選択の中で残された可能性に気づき、その中で最も「自分」が適応可能な選択を意識的に選ぶ。それは自然な行動であり、「自らの本質に基づいた行為」である。
その行動は「自分らしい」。ゆえに「成功の確率は最も高くなる」のである。
最後に
10代の頃、「Super Sonic」という曲の「俺は自分になる必要がある。だって他の誰にもなることはできないから」という一節が、深く心に響いていた。
それから私自身が年を取り改めて、「「自分」がなれる人物は一人だけ」ということに気づく。だが、良くも悪くもそういうものだと自然に思えるようになった。
「自分」を他の「誰か」に変えようとする努力はできる。だが「三つ子の魂百まで」。根本の部分はやはり「自分」である。であるならば「自分」に無理がない生き方を選びたい。
きっとそれは、「自分」の生存のための自然であり、本質的な選択なのだから。
出典
『ローマ人の物語32』