
私たちの脳みそは因果の方向をさかさまに捉えてしまうことがある。いい仕事が成功の原因だとしよう。
そう仮定すると、頭がよく、よく働き、粘り強い人がみんな成功しているからといって、成功している人がみんな、頭がよく、よく働き、粘り強い人とはかぎらないのに、なんとなくそんな気がしてしまう。
ナシーム・ニコラス・タレブ(『まぐれ』)より
「努力した」から「報われた」。
「頭が良い」から、「能力がある」から成功した。
「人として素晴らしい」から富を得た。
私たちは、ついそんな因果関係を求めてしまう。なぜなら、そうであることが正しいと信じているからだ。だが、実際はどうだろう。本当にそうなのだろうか。
もちろん、努力が報われる人生は美しいし、頭が良くて能力がある人が成功する「確率」が高いのも事実である。また、周囲に愛され、応援される「人徳者」に富というご褒美が与えられるのも、悪くはないだろう。
しかし、こうした物事に明確な因果を求めすぎると、私たちは自分の人生をかえって息苦しいものにしてしまう。
人生をより良くするために頑張ってもいい。だが、少し肩の力を抜いて、リラックスしてもいい。この記事では、そんな視点を提示したい。
はじめに
「人生は運がすべて」
この言葉は、人によって強い抵抗感を覚えるかもしれない。だが、「すべて」とは言わないまでも、多くの場面で、あなたもきっと、「運」という得体のしれない力を日々実感していることだろう。
そこで、少し心を静め、そっと自分に問いかけてほしい。能力がある人は、皆成功し、自己実現を果たすのだろうか。人に感謝される素晴らしい人が、お金に恵まれ、めでたしめでたしの結末を迎えるのだろうか。
私たちが生きるこの時代に大切なのは、ただ「~と言われているから」と信じるのではなく、心を開き、自分自身の目で物事を見ようとすることである。
そしてその姿勢を始めたとたん、あなたは気づくだろう。「言われていることと、実際の現実は異なる」と感じる自分自身に。
報われない努力と棚ぼたの幸運。現実が示すのは「たまたま」
例えば、世の中では次のように言われる。
「お金は、人から集めたありがとうの数であり、良い仕事をすれば、人のために尽くせば必ず、お金に恵まれる」
美しい言葉である。「そうなるべきだし、そうしたい」と考えるのが、善なる人としての立場だろう。だが、本当にそうだろうか。
良い仕事をして人から感謝されても、金銭面で必ずリターンが得られるとは限らない。1年以上かけて準備を重ねたプロジェクトが、外部環境の変化によって「オワコン化」し、努力が水の泡になることもある。
その一方で、ふと立ち寄った宝くじコーナーで買った200円のくじが、1000万に化けることもある。「たまたま」買った株が突然10倍に跳ね上がり、一週間で100万、200万、あるいはそれ以上のお金が、楽々と転がり込むこともある。
人のために尽くそうという気持ちはゼロ。そんな「自分ファースト」の人にも、突然の幸運は訪れる。これが、人生の現実である。
この現実に対して、「◯◯だから△△である」という、客観的かつ証明可能な法則を見出すことは難しい。むしろ、「運が原因」と考えたほうが納得できるのではないだろうか。
「運が来なかった」でいい。自分を責めない健全な考え方
私たちは、「頑張ったから」「そうすることが正しいから」物事がうまくいき、成功すると考える傾向がある。だが、現実の「原因」は、案外わからないものである。
だからこそ、人生にはすべてとは言わないまでも、運というものが存在することを認めることが大切ではないだろうか。
人生でつまずいたとき、「私がダメだから」「努力不足だから」と考えるのではなく、「運が来なかった」と考える。そして、人生で何かがうまくいったときは、「今回はなぜかツイていた。ありがたい」と考えればいい。
これは、現実の結果をすべて自己責任に帰する考え方よりも、はるかに健全である。なぜなら、これまで見てきたように、人生は運に左右される。「たまたま」うまくいくこともあれば、「たまたま」うまくいかないこともあるからだ。
成功も失敗も、すべて自分のせいだと考えればわかりやすい。だが、人生はもっと複雑である。だから、気負わなくていい。
「努力すればうまくいく」と気合を入れず、うまくいったときもそうでないときも、それは運という何かが常に絡む。だからこそ、もっと力を抜いていいのである。
運が絡むからこそ、「行動」だけを意識する
考え方はシンプルである。成功したら、運が来た。失敗したら、運が来なかった。そう考えればいい。そして、私たちが意識すべきただ一つのことは、「行動」である。
あなたが今の環境を変えたいと思ったら、転職サイトで仕事を探し、応募する。良いと思えるところが見つかるまで「応募し続ける」。落とされても構わない。そこから先は運が来なかった。それだけのことである。
株を買った瞬間、それが爆上がりしたとしても「たまたま」である。「私の投資力は素晴らしい!」と考えるのではなく、「運」と考える。こうすることで、バランスの良い自我を保つことができる。
そう、重要なのはやるかやらないかである。行動していれば、何かが引っかかる。うまくいかないことは、それまでの話であり、それだけのことである。
「◯◯すれば成功できる」という方法にこだわるのではなく、「やってみる」ことだけを意識する。結果は運が決める。実際、人生は、何がうまくいき何がうまくいかないか、やってみなければわからないのである。
最後に
他人の成功話は、私たちのアドレナリンを刺激する。「私も、できる!」というやる気を与えてくれる。だが、その「再現性」には期待できない。
なぜなら、その成功を語る本人が、なぜ自分が成功できたのか、その本当の理由をわかっていなかったり、「私は正しいことをした。だから成功できた」と、自分を正当化するために語ることもあるからである。
だが、すべてを「たまたま」と考えれば、合点がいく。
「あの人が特別だから」(=特別でないとうまくいかない)
「優秀だから」(=優秀でないとうまくいかない)
「努力したから」(=努力しないとうまくいかない)
こうした思い込みを手放し、私たちは自分の人生を進めればいい。
だからこそ、「原因探し」はほどほどにして、心が動いた方向へ進めばいい。気になることは、まずやってみればいい。
最善を尽くしても、それが必ず結果に反映されるとは限らない。逆に、「たまたま」始めたことが、人生を劇的に変えることもある。人生は、運によって動かされるものなのだから。
人生の逆境を生き抜くヒント集


